代表 エンちゃん(俗名 高橋 裕)
桜堤生まれの桜堤育ち。旧桜堤団地っ子。根っからの武蔵野っ子であり、現在の住まいは塾の隣り。
大学在学時から、颯爽と学習塾の教壇に立つ。以来三十年余り、生徒達からは「エンちゃん」の愛称でからかわれ(*注 親しまれ)、日々教室内で熱い生活指導(*注 学習指導)を繰り広げている。
第二次ベビーブーム世代で、自ら熾烈な中学受験を経験している。その生々しくリアリティ溢れる逸話は、なぜか中学受験生だけでなく、非受験生からも賞賛を受けている。
井の頭線・駒場東大前駅が最寄り駅の、近年御三家入りを果たしたとも言われる中高一貫校の出身でありながら、大学入試のみならず、複雑化する高校入試システムにも精通する進学情報マニア(*注 プロフェッショナル)である。
趣味はスポーツ全般。地元の小学校では少年野球のコーチを務め、野球チームやバスケットボールチームにも所属している。マラソンにおいては、ガーミン(GPS機能付きの時計)を所有するほどの徹底ぶり!? 将来の目標はトライアスロン完走!真顔で語るので、もう誰も止めてくれない。
ところで、この「エンちゃん」という愛称であるが、これは小学校時代のあだ名“猿(さる)”が、中学生時代に音読み化して“猿(エン)”に昇格したというのが、現在では最有力説である。
雑用主任 小池 正義
山梨県甲府市生まれ。海を知らない山猿っ子。根っからの山梨っ子ではなく、現在の住まいは杉並区小金井市。
大学在学時、国語と社会の講師を希望してこの世界の門を叩く。しかし講師一年目は、ひたすら食塩水の計算問題の予習に明け暮れる。
十数年前から突然ジョギング愛好者となり、その副作用で人生3度目の禁煙に成功する。エンちゃんの所有するガーミン(GPS機能付きの時計)を密かに狙っている。
十数年前、ボランティアとして翻訳業務を一度経験して以降、何を勘違いしたのか翻訳者を気取っている。困った中二病でもある。
本人曰く、「見た目は穏健、中味は小心。人畜無害の量産型。」
知人曰く、「見た目は中年、中味は中二。量産できない訳あり品。」
卒業生スタッフ
太田 八雲
高校2年時よりジャムの仲間に加わる。
バリバリの理系に特化した高校に在籍しながらも、文系教科を得意とする変人として名を馳せた。
昭和初期の人間が使うような言葉を何気に日常会話にぶっ込み、講師を辟易させることに長けた逸材としても知られる。
現在は某国立大学工学部の大学院に籍を置くが、ジャムでの担当教科は文系だらけである。和心に満ち溢れた理系として、教室に旋風を巻き起こしている。
スタッフとして搾取を始めた迎え入れた当初は、
「生徒たちに言葉が通じなかったら、どうしよう?」
という懸念があったが、「失念していました!…あ、忘れていました!」と直後にきちんと“解答を添える”気配りを見せた故、それは杞憂に終わった。
現在は、あの伝説のオールラウンダー「福地先生」のDNAを受け継ぎ、全教科を押し付けられている。
熱力学と漢文が一つのホワイトボードに混在する光景は、一見の価値あり。
伊藤 久遠
ジャムに通い始めたのは、中学2年生の時。
昔ながらの「硬派」なスポーツマン。小3の冬に地元のサッカークラブに入り、中学・高校と約10年間、サッカーに青春を捧げた。
周りからは「大学生になっても、厳しい体育会系に所属し、硬派な生活を貫くだろう」と思われていたが、
ポロっと「“ゆる~い”サークルに入って、きゃぴきゃぴなキャンパスライフを送りた~い!」と本音を漏らしたことが原因で、当塾に捕獲された。
以来、軟派更生プログラムの一環として、教室で労役を課せられている。
現在は少しずつ硬派を取り戻しつつあり、生徒たちの良き兄貴分として、男気のある授業を展開している。
硬派が完全に復活した頃には、ふんどし姿で授業をしていることであろう。
高嶌 蒼一郎
中学2年生の時、ジャムの一員となる。
生徒時代は、凡人には到底解読不可能な読みにくい文字アート心あふれる文字を答案用紙に披露し、採点者泣かせとして名を馳せた。
「記述の多い学校は危険かもしれない。全問マークシートの高校を探そう!」という前代未聞の進路指導を本気で考えさせられたほどの逸材である。
それゆえ、生徒を卒業し、講師として初めての授業を翌日に控えた夜、教室のホワイトボードに向かって懸命に文字を書く練習をしている姿は、関係者の涙を誘った。
講師デビュー当日は、講師歴5年目のベテランを思わせるかのような落ち着いた授業を展開し、先輩講師だけでなく、生徒までも驚愕させた。
板書を見た限りでは、その指先から放たれる文字に、中高生時代のアート要素は一切見られない。安心して授業を受けてもらいたい。
授業は超まじめな正統派。雑談でお茶を濁すことは一切ない。ある意味、歴代講師の中で、ぶっちぎりで最もジャムの講師らしくない稀有な存在であるが、講師デビュー1か月で、すでに一部生徒の間でファンクラブが誕生するほどの人気を博している。
今後の活躍が大いに期待される、待望の黒ラベル新星である。
齋藤 蔵人
中学2年生の時、何かの間違いでジャムに入塾する。
中学時代はサッカーのクラブチームに所属し、高校時代もサッカーに青春を捧げてきた生粋のスポーツマン。
とはいえ、体育会系特有のオラオラ感は一切醸さず、外見はどう見ても、読書や植物鑑賞を愛でる物静かな青年である。
現在は大学で理系の勉学に励むが、文系教科も得意であることから、当塾の一方的な都合で、文系教科ばかり押し付けられている。
講師としての初授業は、なんと高校を卒業する前。無理やり授業を押し付けられて、前代未聞の“高校生講師”として衝撃的デビューを飾らされた。
性格が非常に温厚ゆえ、当塾初の“癒し系講師”として、一部生徒の間で信仰の対象になっている。
(新)矢吹 佑
ジャムに通い始めたのは小学生の時。
「The理系」を思わせるインテリジェントな顔つきからは想像できないが、実は無類の野球好きである。
日本の高校野球やプロ野球だけでなく、大リーグ事情にも精通しており、野球に関することは大抵教えてくれる。
授業中の立ち振る舞いは上品そのもので、授業を受けた生徒のマナーが向上していると定評がある。
話し口調は類を見ないほど優しく温厚。そのため、最近は心理カウンセリング目的で授業に参加する生徒もいるとか。
齋藤先生と双璧をなす当塾の“癒し系講師”として、生徒たちの心の健康に貢献している。
まゆ様(桑原 真由)
小学生の時からジャムに通う。生徒としての在籍期間は8年超。現在の講師スタッフよりもジャム歴は長い。
「知力・体力・人間力」において、非の打ちどころがない文武両道の体現者。歴代の講師から畏敬された。
生徒でありながらも、エンちゃんを抑えてジャムカーストの頂点に君臨し、いつの間にか「まゆ様」と呼ばれるようになった。
現在は東京から500キロ以上離れた大学で勉学に励んでいるが、「帰省中はジャムの講師として働く」という約束を強引に取り付けられてしまい、「神戸、時々ジャム」という生活を強いられている。
まゆ様が教室に姿を見せるのは、主にGWや夏休み・冬休み・春休みであるが、もし片道3時間の新幹線代をエンちゃんが支給できたら、毎週末の授業も可能となる。
夢が叶うことを、期待してやまない。
まゆ様の授業受講の心得!
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- 通常の授業よりも、10倍以上礼儀正しく臨むこと。
- 質問する際は「せんせー!」ではなく、「まゆ様!」と呼ぶこと。
上記心得に反した生徒には、自主退塾が勧告される。注意するように。
卒業生スタッフSV(スーパーバイザー)
福地 庸介
ジャムスクールに生徒として10年以上在籍し、その後は講師として6年間在籍。誰もが認める、当塾最大の被害者で功労者である。
「人生の3分の2以上をジャムと共に歩む」という不遇な境遇を感じさせない温厚なオーラと、優しいスマイルがトレードマークである。
博学多才で、理系でありながらも古典を教えていたスーパーオールラウンダー講師。一つのホワイトボードに、古文の助動詞活用表と漸化式が混在する様は、もはや芸術の域とされた。
現在はレギュラーを退いているが、不定期的に来塾して後輩講師の指導や、特別授業などを行っている。