シャボン玉の歌
10月31日はハロウィン。
教室では、恒例のお菓子が配布されました。なんか生徒達よりも、私の方がはしゃいでいたような…。
さあ、いよいよ11月に入りました。
今年も残すところ、あと2か月。1年なんて本当にあっという間ですね。
☆ ☆ ☆
ちょうど今から4カ月前のこと、駅前で喧嘩騒ぎを目にしました。
すでに警官が仲裁に入っている状態でしたが、加害者らしき男が、
「てめー、こら、ぶっ殺すぞぉー、おらっ」
と、すでに地面にうずくまっている被害者らしき男性に向かって、声を張り上げていました。
都会では“別に珍しくもない出来事の一コマ”にすぎませんが、
私は最近、そういった光景を目にするたびに、「シャボン玉の歌」の歌詞が頭によぎります。
しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた
しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた
風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ
作詞者である野口雨情(1882-1945)は、誕生したばかりの長女をわずか7日で亡くしています。
それゆえ2番の歌詞は、その時の悲しみを表現したものだと言われています。
*この歌詞が発表されたのは、長女の死から14年後のことなので、異論も存在します。でも私は「遠い日の悲しみを思い出して書いた」可能性はあると考えています。
野口雨情が生きていた時代は、医療が現代とはケタ違いに乏しい状況でした。
なんと「2~3割の子どもが学齢前に亡くなった」と言われます。
つまり「100人中、20人~30人の子ども」が、今で言うところのランドセルを背負う日を迎えることなく、この世を去っていったのです。
現代の感覚からすると、かなり異常な数値に思えます。
だって「100人中、20人~30人」ですよ。
サイコロを振って1が出る確率は6分の1。上記に当てはめても、まだ「100人中、16人~17人」。
それよりも高い確率で、死んでいったのですから。
当時の子ども達の死亡率の高さは、医療の乏しさだけに起因するものではありません。そこにはもう一つ、とても悲しい物語が隠されています。
それは、(続く)