今年を振り返って2021
高校生のY君が取り組んでいた入試問題の中に、アインシュタインの「想像力は、知識よりも大切だ。知識には限界がある。」という名言が登場しました。
筆者はこの言葉を引用しながら「子どもは、想像力を使って新しい発見を生み出そうとするが、大人は、その想像力を使って新しい心配事を生み出そうとする」といった自説を述べていました。
実は現在、その説を実感してやまない出来事に遭遇しています。
市内の公立中に通う1年生が、現在、英検準2級に向けて勉強しているのです。
英検準2級に合格するには、高校中級レベルの英語力が必要だと言われますが、彼は帰国子女ではありませんし、幼少時代に英語に慣れ親しんでいたわけでもありません。
中1生にありがちなお茶目なスペルミスも“お約束”だったりするので、そういったフライングがないことは保証できます。
コツコツまじめに勉強に取り組むことができる生徒なので、今のところ、学校のテストで苦しんでいる様子はありません。だからといって、私の方で無理に先取り学習を行うことも、特にしておりません。
前回、10月実施予定の英検申し込み時、彼は4級(中2修了程度)にチャレンジしようとしていました。ところが、エンちゃんが冗談半分で、
高橋:「なんかさぁ~、今のところさぁ~、4級の申し込みが1件もないんだよ~。一人で試験を受けるのって、なんか孤独じゃない?だから、まとめて3級にしようか~。」
と、“昭和オーラ満載”の理不尽な冗談をかましました。(もちろん、申込者が一人の場合でも、実際には喜んで対応しております。ご安心くさだい。)
そんな冗談を、良い意味で真面目に受け取ってしまったH君の返事は、
「1度問題を解いてみます」
その後、教室を震撼させる出来事が続きました。
「い、いったい、どーなってるのぉぉーーっ!!これって、どーゆーことぉぉーーっ!!」
選択問題とはいえ、普通に合格点なんです。しかも、かなり余裕を持って。
すごいを通り越して、こわいになっていきました。
3級といえば、中学修了程度のレベルとされています。彼は中1の最後に習う過去形さえ知らなかったのですよ。
純粋に単語の知識や、中2、中3の文法事項をストレートに問う質問では失点しましたが、読解問題では全問正解。
「中1の秋段階でも、知っている単語と文法を駆使できたら、こんなことがありえるのか!」
まだ鉄棒で逆上がりをしたことがない子どもが、いきなり大車輪をやってのけたような光景と言えば伝わるでしょうか。英語学習の常識が、良い意味で破壊されていく瞬間でした。
その後、彼は本番を無事に突破し、今回の運びとなりました。
破壊神話は更に続きます。過去問では、すでに合格点を超えることの方が多くなりました。
彼の持ち駒は、中1修了の知識と、ちょっぴり教えた中3の“ラスボス”関係代名詞の“さわり”だけ。準2級を前にしては、恐ろしい程に持ち駒が少ない状態です。
例えるならば、九九を全く暗記していないのに、8×6の掛け算に挑むようなもの。8+8の足し算を6回繰り返さないとならないハンデを背負った戦いなのに、彼は楽しそうに足し算を駆使しながら互角に戦いを繰り広げています。
彼の快進撃の巨人は、昨今の自分自身が忘れかけていた、本来の“勉強”の姿とは?という問いを投げかけているようにも感じられます。
もともと勉強っていうやつは、成績という生徒にとっての“政治的な理由”に直結しない状態、つまり、勉強を“やらされていない時”にこそ、本当に意味のあることが成し遂げられるものではないか?というものです。
実際、彼が英検に向けて行っている勉強は、“成績を上げるため”といった“政治的な縛り”によって行われるものとは、全く方向が違います。
ある意味、そういった“縛り”が存在しない時にこそ、純粋に未知なるものに想像力を駆使して対峙する本当の楽しさが体感できて、本来の意味での勉強に勤しむことができる、とは考えられないでしょうか?
実際にそのおかげで、我々は現在、“H君が想像力を駆使して、知識の限界を突破していく奇跡の瞬間”に立ち会っているのですから。
― 子どもは、想像力を使って新しいことを生み出そうとするが、大人は、その想像力を使って新しい心配事を生み出そうとする ―
冒頭の言葉が頭をよぎります。
「君だったら、1年後には準2級に余裕で合格するよ。だから、わざわざ今じゃなくてもいいんじゃない?他の教科を勉強しようよ」といった効率性を重視したアドバイスとか、
「あわてて急いで受験した結果、ダメだったらお金がもったいないよ。学年が上がってから確実に取った方が経済的だよ」といったコスパを重視した凡庸なアドバイスなどは、
手持ちの少ない材料で準2級という“料理レシピの作成”に没頭している料理人を目前にすると、想像力の無駄遣いだと気付くでしょう。
彼の姿を見ていて、改めて思ったことがあります。それは、
たとえ人様から笑われようが、“何かを生み出すために、いつまでもあがき続けられる人間でいたい”ということ。そういった歩みを続けることは、決して恥ずかしいことではないということ。
そんなことを心に噛みしめながら、2021年最後の日を見届けたいと思っています。
☆ ☆ ☆
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
*毎年恒例となりましたが、こんな冗長な自分語り文を最後まで読んでくれたあなたは、当塾の関係者か、単なる変人です。涙で感謝の言葉が見つかりません。ありがとうございました!
それでは、マスクをした生徒の皆さん、
マスクをした保護者の皆さま、
マスクをしたご近所の皆さま、
そして、いつも素通りされるマスクをした通行人の皆さま、
今年も本当にお世話になりました。来年も引き続き、よろしくお願い申し上げます。
皆さまが、実りある2022年を迎えられますように。
よいお年をお迎えください。