今年を振り返って2025(2)

(前回の続きです)

私はここ十数年、ランニングを習慣化してきました。

健康のため、気分転換のためと、格好のいい理由を並べたいところですが、正直に言えば、「走らないと体型が大変なことになる」からです。

週末の夜にランニングシューズを履き、同じ道を走る。特別なことは何もありません。

ところが今年の2月、その「当たり前」が突然止まりました。

人生で初めての肉離れ。

調子に乗って、年齢をきれいに無視して走ってみた結果です。

そこから、走れない時間が長く続きました。

再び走れるようになったのは6月。最も走りやすい季節を、きれいに逃しました。

そして10月。

今度は反対側の足が肉離れ。走れない生活に逆戻りです。

もちろん、楽しみにしていた元旦の小金井公園ロードレースにはエントリーできません。

今はただ、すれ違うランナーを見て、少し恨めしく思う日々を送るのみです。

その中で、「走れる」という当たり前が、どれほど多くの条件に支えられていたのかを、身をもって知ることになりました。

・健康であること

・時間があること

・それを許してくれる日常があること

どれか一つでも欠けた瞬間、「当たり前」は簡単に崩れます。

ほんの少しのズレで、日常はあっさりと別の顔を見せ始めるのです。

「当たり前は、条件付きだった!」

肉離れは、それをじわじわ教えてくれました。

そしてふと、こんなことを考えるようになりました。

生徒たちの「当たり前」も、実は同じなのではないのかと。

(続く)

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