今年を振り返って2025(3)
(前回の続きです)
ふと視線を教室に戻してみると、同じような「当たり前」が、そこにも息づいています。
生徒たちにとって、
・勉強する環境があること
・分からない問題に出会えること
・暑苦しいエンちゃんの顔を見ること
それらは「当たり前」として、特に意識されることもなく続いています。
特別なものではなく、ただ「いつもの日常」。
そして我々講師もまた、その中に身を置いています。
・生徒が教室にいること
・生徒から質問されること
・暑苦しいエンちゃんの顔を見ること
それが、いつしか「当たり前」になっていました。
でも、12月に入って間もない頃、エンちゃんがインフルエンザにかかり、教室に来られなかった1週間がありました。(誰だー!大歓迎と言ったのは?)
多くの生徒が、教室の雰囲気が「らしくない」と感じたのではないでしょうか。
当塾はその1週間、エッジを失ったまともな学習塾になってしまいました。私自身、「まるで塾みたいだ」と思ったほど。
人は、「いつもそこにある」間は気づきません。
なくなって初めて、「ああ、そうだったんだ」と気づきます。
当塾にとってのそれは、エンちゃんの気配―濃くて暑苦しい、でも確実に教室の空気を作っている―そんな「らしさ」なのだと思います。
武骨で荒っぽいけど、生徒たちの背中を着実に押し続けてきた大切な空気でもあります。
気づけば、その「らしさ」に包まれたまま、今年も無事に最終日を迎えました。
☆ ☆ ☆
振り返ってみると、今年はさまざまな社会的変化が重なった1年でした。
それでも、生徒たちが「当たり前の日常」を積み重ねてこられたのは、間違いなく、ご家庭の支えがあったからです。
私はこの1年、「当たり前」を失うことを経験しました。
走れなくなった私は、「走れる」という当たり前が、どれほど多くの条件のもとに成り立っていたのかを思い知り、「再び走れる日」を強く願うようになりました。
当たり前は、何事もなく過ぎている間には、なかなか意識されません。
ふと立ち止まった時に、「ああ、そうだったのか」と、後から気づくものです。
生徒たちもきっと、何もなかった1年を振り返った時、そこに当たり前のように寄り添い続けてくれた家族の存在があったことに、後から気づくのだと思います。
それは、成績表には残らないけれど、生きていく中で、何度も思い出される心の支えです。
そんな「当たり前」を守り続けてこられたすべてのご家庭に、深い敬意と感謝の気持ちを、この場を借りてお伝えさせていただきます。
「当たり前に過ぎていく日々こそが、人生で一番の財産」
そう噛みしめながら、このあたりで今年の筆を置きたいと思います。
☆ ☆ ☆
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
毎年恒例となりましたが、こんな長い自分語り文を最後まで読んでくれたあなたは、間違いなく”懐が深すぎる人”か、単なる関係者です。ありがとうございました!
それでは、生徒の皆さん、
保護者の皆さま、
ご近所の皆さま、
そして、いつも素通りされる通行人の皆さま、
今年も本当にお世話になりました。来年も引き続き、よろしくお願い申し上げます。
皆さまが、実りある2026年を迎えられますように。
それでは、よいお年をお迎えください。

