昔の自分へ

今や姿を消しました

25年間使われた「スーパーあずさ」が新しくなったのは、2017年12月下旬のことでした。

最近は列車の通過待ちの際に、新型車両であるE353を目にする機会が増えています。

ちなみに私は、鉄道マニアではありません。

ただ、新型は前面にでかでかと「E353」と表示されているので、何度か見ている内に、自然と覚えてしまいました。

☆ ☆ ☆

「スーパーあずさ」に初めて乗ったのは、25年前の新宿駅でした。

当時の私は、学生にも社会人にも所属できないポンコツでした。言うまでもなく、心は荒廃しておりました。

映画「ビリギャル」の中で、主人公が先生に宛てた手紙の一節のように、

「自分には何もない。」

そんなコンプレックスにまみれた状態でした。

人様に誇れるものがなく、

「自分の存在って、意味があるのか?」

自分の不甲斐なさが情けなく、覚えたばかりのお酒とタバコに逃げる日々でした。

そんな傷だらけの青春(笑)を送っていた25年前、私はデビューして間もない「スーパーあずさ」に乗る機会に、たまたま遭遇しました。

☆ ☆ ☆

まだ新しい車両の“香り”に浸っていた時、私の横に座ってきたのは、スラっとしたサラリーマン。

しばらくすると、その方はバサッと英字新聞を広げて読み始めました。

平然を装いながら横目で覗いても、当時の私には何が書かれているのかチンプンカンプン。

もちろん、新聞を読んでいた方に「見せびらかそう」といった悪意はなかったと思います。

でも、私の方が勝手にショボンとしてしまい、「これ見よがしに、ちきしょう!」と心の中で叫び声をあげてしまいました。

情けないものでした。

その時、そんな自分がどんなに小さな人間に思えたことか、今でも思い出せます。

スーパーあずさは、自身の置かれた現実と、自身の心の荒廃具合を改めて思い知らせてくれたトラウマとして記憶されました。

☆ ☆ ☆

あれから、四半世紀(25年)が過ぎました。

現在、自宅の下駄箱には、スモーカーには全くの無縁だったジョギングシューズが、所狭しと散乱して並んでいます。

本棚には、読み漁った英文法書やら洋書やら英字新聞が、やはり所狭しと散乱して並んでいます。

25年前に全く縁のなかったアイテムが、今の私の部屋を埋め尽くしています。

今思えるのは、

「人様に誇れるもの」ではなくとも、「“自分が夢中であることを”人様に誇れるもの」があれば、それだけで十分胸を張って生きていけるということ。

最近は、E353が目の前を通り過ぎていくのを見かけるたびに、

座席でうつむいている25年前の自分に向かって、エールを送っています。

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