シャボン玉の歌(3)
前回の続きになります。
その先に待ち構えている状況とは…。
平成から令和となったこの時代でさえも、小学校で必ず目にするであろう出来事のトップ1は、
学校でいじめられ、心を病んでいく子どもの姿
ではないでしょうか?
最近では、
先生からいじめられ、心を病んでいく先生の姿
といった変わり種も登場しておりますが…。
医療と経済の発展により、野口雨情が生きていた時代と比べ、7歳の壁は格段に乗り越えやすくなりました。
しかし、その壁を乗り越えた子どもたちを待ち受ける社会は、あまりに杜撰(ずさん)な状況にあると言っても過言ではありません。
本来、小学校というのは、学齢期という一つの大きなゴールにたどり着いた子どもたちが、いよいよ人生という旅の本番に向かって歩み始める大切な場所。
そこでの生活が子どもたちの人格を形成し、その後の生き方までも決定します。
だからこそ、聖職者と呼ばれる先生方におかれましては、貴殿のクラスでいじめられている生徒がおりましたら、四の五の言わずに、まずは助けてあげてください。
間違っても、加害者と被害者の双方の親の厄介度の比較なんて始めないでください。そういう先生の政治的判断って、実はかなりの高確率で生徒に気付かれています。ただ、気付いていないふりをしているだけのことです。
「向こうの親の方が“影響力が大きい”から、先生は僕を助けてくれないんだ…。」
そう悟った生徒に、救いはあるのでしょうか?
中学1、2年生がいじめを苦に自殺したといった痛ましい記事を読み進めていくと、ほとんどの場合、被害者は小学生時代から継続していじめられていたと書かれています。
7歳の壁を越えた先に広がっていたのは、7年間の地獄…。そんな状況に立たされていたのです。
その心中を思うと、怒りと涙しか出てきません。(続く)