今年を振り返って2019(2)
前回の続きになります。
かつて、英語が得意で英検2級(高校卒業レベル)にも合格した程なのに、学校の成績は“3”だった中学3年生がいました。
その生徒は、先生に嫌われていた訳でも、授業を崩壊させていた訳でも、提出物を出していなかった訳でもありません。
ただ、笑ってしまうほど、定期テストの問題と折が合わなかったのです。
「なぜか、合わないのよぉ~」と、本人も不思議がっていました。
一方、難関私立高校の英語の過去問は、毎回サクッと解けていたのですが…。
結局その生徒は、有名女子大学の付属高校にフリーの一般受験で挑み、“英語”を得点源にして合格しました。
さて、そんな彼女の英語の実力というものですが、学校から認定された“3”という成績に見合ったものだったと言えるのでしょうか?
ちょっと意地悪な言い方になりますが、仮にその当時、彼女よりも定期テストで良い点を取っていたクラスメート、もしくは成績が4や5だったクラスメートが英検2級に挑んでいたとしたら、当然のように合格できたのでしょうか?
ぶっちゃけ、かなり厳しいでしょう。
とは言え、私は定期テストが狂っているとか、いや英検の方が狂っているとか、そういった議論をふっかけたいのではありません。
実力を公平に測れるテストなんて、「どだい無理な話」だと言いたいのです。
悲しいかな、“鉛筆一本さらしに巻いて”馬鹿正直にテストに挑むという行為は(人間的には素晴らしいと思いますが)、損をすることが多いということです。
そもそも、テストが本当に全員の実力を公平にチェックできる万能な存在であるならば、塾や予備校なんて初めから存在しませんよ。私はエンちゃんと出会うこともなく、平和な世界でボーっと生きていたはずです(笑)
そう言えば、なんかつい最近まで、どこかのお偉いさん方々が、
「英語は4技能を求めるべきだー!だから民間テストの導入だー!」
「国数は思考力を問うべきだー!だから記述式の導入だー!」と、とち狂ったことを言っていましたね。
現在の高2生をさんざん振り回した挙げ句、民間テストは延期され、記述式は無事白紙に。
思考力を問われるべきは、いったいどちらなんでしょうね。(続く)