今年を振り返って(2)
つい先日のこと、
小池:「あれっ、この話って、塞翁が馬?」
高3生のF君と英語の長文問題を一緒に和訳していた時、思わず声を出してしまいました。
というのは、長らくコロナ禍を過ごす中で、この有名な故事成語が、心の片隅に鎮座するようになっていたからです。
人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)
ある時、老人が飼っていた馬が逃げてしまいました(不運な出来事)
しかし数か月後、この馬は足の速い駿馬を連れて帰ってきました(幸運な棚ぼた)
ところが、この駿馬に乗った息子は落馬してしまい、脚の骨を折ってしまいました(不運な出来事)
しばらくして“いくさ”が始まりました。多くの若者は徴兵されて戦死しました。しかし息子は骨折のため徴兵から逃れ、生き延びました(骨折は幸運だった)
「幸不幸は予期できない。何が禍福に転じるか分からない。」という話です。
「悪いことの後には良いことがある。その逆もしかり。」といった解釈もあります。
ざっくり言えば、「何があってもジタバタしなさんな。」
そんな教えであると、私は思います。(ざっくりしすぎだろ!)
“何が禍福に転じるか分からない”という事例は、現在のコロナ禍においても、わずかに垣間見えます。
例えば、「テレワーク・巣ごもり需要」を追い風にして、特定の業種は業績を伸ばしました。
売上が激減して悲鳴を上げている個人の飲食店や、万策尽きて倒産していく会社を尻目に、そういった業種はボーナスがアップしました。
ところで、そんな勝ち組の方々は、昨年のうちから現在のコロナ禍を予見された上で、経営戦略を立てられたのでしょうか?
皮肉な言い方ですが、今回手にされた業績は「棚ぼた」によるところが大きいはずです。
そういったことを思ってしまうと、
「結局、人間の経済活動なんて塞翁が馬。お釈迦様の手の上で踊らされている孫悟空のようなもの。」
と、考えるようになってしまい、
「結局、自助努力って一体何なのさ?それって、うまいのか?」
と、脱力感に包まれます。
おおっと!せっかくの年末。暗い話は避けたいところです。
だから気を取り直して、あくまで個人レベルですが、コロナ“禍”で出会った小さな“福”を、最後にちょこっと紹介したいと思います。(続く)