a0101848_15595986一年ほど前のことですが、小論文を担当していたクラスの中に、看護学部の推薦入試に挑んだ生徒がいました。先の見えない不景気の影響で、医療系学部の人気は毎年うなぎ登り状態。看護学部も例に漏れず、倍率は3倍近くにのぼりました。

試験当日は、課題文を読んで自分の意見を述べる小論文試験がありました。帰ってきた生徒から話を聞くと、課題文の内容は「自己犠牲の精神を否定する」というものでした。「自己犠牲を払うことで自分自身が不幸になってしまったら、結局は何の意味もない。」という主張が淡々と書かれていたようです。敗者に冷酷な現代社会を象徴するかのように。

私は以前、小論文の授業で医療をテーマにディスカッションを行った際に、恥ずかしながら「人間愛」を軸とした展開を推奨していました。今になって思うと、現実を知らない素人の戯言、ここに極まれり・・・です。

とは言えども、生徒からその話を聞いた時には、看護学部が出題したとは思えないシビアすぎる内容に驚きました。大学までもが冷酷な自己責任論者になり果てたのかと、大きな失望感に襲われました。

kango1しかし、その生徒は課題文の主張に対して真っ向から反論してきました。「自分が犠牲を払ったとしても、他人が幸せになる姿を見て自分が幸せだと思えるのなら、幸せだと思える分だけその行為には意味があったはず。だから、自己犠牲の精神を一方的に無意味だと決めつけるのは間違っている!」という意見を書いてきたのです。

報告を受けながら、私は勝手に感動していました。でも正直言うと、「試験で求められていた解答は、非情にも反対の論旨なのかもしれない。もうこんな時代だし。」という不安はありました。

数日後、「自己犠牲の精神は決して無意味じゃない。」と堂々と書いてきたその生徒に、合格の吉報が届きました。彼女の想いは間違っていなかったのです。

この世は、まだまだ捨てたもんじゃない・・・

今回の件では、この生徒のまっすぐな想いと、その結果に心を救われた思いがしました。社会の景気事情はどうであれ、医療従事者を育成する大学機関が自己犠牲の精神を否定したら危険です。マザーテレサだって悲しむでしょう。

めでたし、めでたしの話でした。

小池