そうは問屋が卸さない
この度の「平成30年7月豪雨」により、亡くなられた方々に謹んでお悔やみを申し上げます。
また、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復興をお祈り申し上げます。
― そうは問屋が卸さない ―
この言葉を整序英作する問題が、昔の大学入試で出題されたことがありました。
衝撃的な問題ゆえに、現在でも様々な問題集に登場してきます。
この問題に挑んだ生徒から飛んで来る質問の大部分は、もちろん言うまでもなく、
「せんせー、”問屋が卸さない”って何ですか?」
というもの。
英語云々ではありません。日本語の意味です。
こういう質問が来た時、私は必ず、
「これだから、今どきの若者は…」
とは、”絶対思わない“ように心掛けています。
そう思った瞬間に、”悪い意味”で昭和時代の「おぢさん」と同じになってしまいそうだからです。
そもそも、現代に生きる若者にとって「そうは問屋が卸さない」という言葉を日常会話で使う変人人間と接する機会って、一体何パーセントくらい残されているのでしょうか?(*日本の若者全員が、八雲先生と知り合いならば、話は別ですが 笑)
もしも「今どきの若者」が、これまでに「昭和時代のおぢさん」と同じ回数「この言葉」を浴びて生きてきたのなら、言うまでもなく、若者にとって周知の言葉になっているはずではないでしょうか?
だって、生物学的に見たって、若ければ若いほど、人間の脳の記憶力というものは優れているのですから。これは科学的にも「周知の事実」ですよね?
私は「今どき」の若者が大好きです。
適当にいちゃもんをつけて若者を批判をしようとしても、そうは問屋が卸しませんよ。