英検new! 2024 2023 2022 2021 2020 2019 / 2017 2016 2015 2014
2013(おまけ) 2013 2012 2011 2010 2009 2008 2007
2018年 中学部
都立武蔵高校・錦城(特進)・西武学園文理
T.S. 君 武蔵野六中 卒
中3の1学期、僕は勉強から逃げ出しました。
当然、それなりに勉強していた時と比べて、気持ちは楽でした。しかし、分かるように僕の内申点は下がっていました。
でも、まだ2学期があるから挽回できると思い、夏休みからはしっかり勉強していきました。
最初は勉強にだるさを感じましたが、模試の結果が上がったことでやる気を起こし、次の模試に向けて勉強するというサイクルが生まれました。
そのため二学期の中間・期末試験では、全体の平均点が下がっていた中で、私の得点は一学期を上回りました。
でも内申点は上がりませんでした。自分としては結構頑張ったつもりだったので、辛かったです。
それでも諦める理由にはならず、もっと勉強量を増やして、ラストスパートをかけました。
ジャムでは、やみくもに問題を解いて目先の点数を上げることよりも、高校に行ってからのことを考えて、なるべく本質から理解できるように教えてもらいました。
辛い受験勉強でしたが、これを乗り越えないと、将来の自分は存在しないと言い聞かせて、最後まで諦めませんでした。
結果として、受験校に全部合格できていました。
最後に、受験はゴールではありません。新しいスタートラインです。もし落ちてしまっても、うつむかずに前を向くことが大事だと思います。後輩の皆さんの健闘を祈っています。
都立田無高校・東亜学園(総合選抜)
Y.Y. 君 武蔵野二中 卒
私が塾に入ろうと思ったのは、2年生までテストの点数が悪く、「このままではいけない・・。」と思ったからだ。
小学校の時、少年野球チームに所属していた私は、父と一緒にコーチをしていた高橋先生のいる塾に通うことにした。
結果、定期テストでは1教科あたり20~30点上げることができ、入試では400点以上取ることができた。
毎日の勉強のおかげだと実感した。
だから、高校生になった今もほぼ毎日塾に通っている。中間テストでは、驚くことに学年順位で15番を取ることができた。これからも頑張りたいと思う。
日大櫻丘高等学校・聖徳学園(難関国公立)
Y. E. 君 武蔵野四中 卒
中三の秋、私は日本大学櫻丘高等学校の正門の前に立っていました。
美しい校舎を眺めるのもそこそこに、校内見学をした私は、
「ここがいい…。」そう思いました。
しかしそこは、私の成績では足下にも及ばない高校でした。
「残り数ヶ月間、とにかく頑張ってみよう」と思い、暇さえあればJAMスクールに行くようになりました。JAMスクールはいつも開いていたので、助かりました。
塾の先生方は、私が尋ねたことを解答を見ずに、目の前で解いた後に教えてくれました。答えにたどり着く過程を見ることができ、深く理解することが出来ました。
私は1番行きたかった高校に合格することが出来ました。JAMスクールに通っていたおかげだと思っています。
高校では、1年生の時からしっかり評定を取って、希望の学部に進めるように、引き続き頑張ります。
聖徳学園(難関国公立)
H.Y. 君 武蔵野六中 卒
ジャムに通い始めたキッカケは、兄の勧めでした。
僕の中学生活は部活三昧で、正直、勉強は二の次、三の次でした。
勉強に対して、いわゆる「意識の低い」生徒だったと思います。
毎回、定期テスト前になって慌てて勉強を始める状態でしたが、ジャムではそんな僕をしっかりサポートしてくれました。
三年になってからは、毎日のようにジャムに通って勉強しました。
おかげさまで、高校受験では自分の希望を叶えることができました。とても満足しています。
体験談を書くのが遅くなり、気が付けば、高校生活も半年以上が過ぎましたが(笑)
僕は相変わらず、ジャムで頑張っています。
都立小平南高校・大成(文理進学)
R.K. 君 武蔵野六中 卒
3年生になっても、なかなか勉強する気になれなかった僕は、内申点も低く、第1志望校に合格するには、当日点で挽回するしか方法がありませんでした。
そこで、ひたすら過去問を解きまくり、問題の形式に慣れるように勉強しました。暗記系は、とにかくジャムの先生から頂いた問題を解いて覚えました。
そのおかげか、当日は落ち着いて試験を受けられました。先生方と一緒に採点をした結果、当日点はおそらく400点を超えているかと思います。
自分が本格的な勉強を始めたのは、気が付けば試験の2ヶ月前ぐらいでしたが、日頃から勉強する習慣を付け、もっと早くから勉強をした方がよかったと、今は反省しています。
都立府中高校・大成(文理進学)
M.S. さん 武蔵野六中 卒
中3となった4月、まだ受験生という自覚がなかった私は、1・2年の時と同じような学校生活を送っていました。
正直、受験の話をされると、嫌な気持ちになっていました。でも、姉の勧めもあって、姉が通っていた「ジャムスクール」に通い始めました。
ジャムの先生から高校受験に関する色々な話を聞き、志望校について少し考え始めるようになりました。
そして初めての模擬テストを受け、自分の現在の位置というものを知りました。
夏休みになると、ほぼ毎日通いました。1・2年生の内容を徹底的に復習していきました。
内申が出た11月以降は、とにかく毎日ジャムに行って入試に向けた勉強をしました。
受験が近づくにつれ、不安と緊張が募るばかりでしたが、毎日ジャムに通うことで不安を紛らわしました。絶対に第一志望に受かろうと、ギリギリまで努力を続けました。
3月の都立合格発表の日、今までやってきた事がすべて報われた気がしました。最後まで頑張って良かったと、心から感じました。
充実した高校生活を送れるように、頑張ります。
2018年 高校部
明治薬科大学 薬学部(指定校)
M. Y. 君 武蔵野六中→都立小金井北高校 卒
僕がjamスクールに通い始めたのは、中学2年の夏でした。
3年前の高校受験では、jamスクールで通知表の底上げをした結果、推薦を使って進学することができました。
「都推は合格していたらラッキー程度に考えよう」と先生方は言いつつも、勉強はもちろんのこと、面接対策や小論文対策を念入りにしてくださったお陰です。
ところが高校入学後、僕は一般入試に対するモチベーションが徐々に下がってしまっていました。
2年の冬頃、目標とする大学と実力との差に萎えてしまっていた時に、「指定校推薦」という提案を先生方はしてくださいました。jamスクールに通い始めてから、学校の成績を取ることは、すでに習慣となっていたからです。
3年になると周りは一般受験の勉強に力を入れ、通知表の存在は二の次になります。そこで僕は学校の成績を取ることだけに全力を尽くしました。
その結果、大学合格を表向きは「すんでのところ」で、裏では「用意周到」につかみ取ることができました。
jamスクールに5年間通って1番に学んだことは、「地道に努力する」ということです。その対象が一般入試や推薦入試、その他の対策になるのかは人それぞれです。
いくつもの可能性から、僕のことを適した道に導いてくださった先生方には、感謝の気持ちしかありません。
大学で行われたプレイスメントテストでは、一般入試組との実力差を感じました。(またしてもですが、笑)
ですから、次こそは萎えることなく「留年せずに必ず卒業する」ということを目標に、これからは頑張っていきたいと思います。
最後に、jamスクールの先生方、本当にありがとうございました。
工学院大学 先進工学部(指定校)
R. E. さん 武蔵野四中→白梅学園高等学校 卒
高校受験では目標に届かず、他の進路を選びました。
でも、ジャムスクールの先生は「3年後が大切なんだ。」と声をかけてくださいました。私はその言葉に励まされました。
高校に入学してからは、中間試験、期末試験といった1つ1つのテストが3年後に繋がると信じて勉強しました。
ジャムスクールの先生方は、自分が諦めない限り共に歩いてくださいます。私は英語が苦手です。1歩進んでも2歩戻ってしまうことは多々ありました。
でも、先生は最後まで支えてくださいました。先生がいなければ、私は英語から逃げ、今の進路は叶わなかったと思います。
先生にかけて頂いたたくさんの言葉で、私は逃げずに前に進むことが出来ました。その結果、大学受験では自分の希望する大学の指定校推薦を頂くことが出来ました。
勉強以外のことも、色々相談に乗ってくださいました。感謝の気持ちでいっぱいです。ジャムスクールに出会うことができて良かったです。
帝京平成大学 現代ライフ学部(指定校)
T. K. 君 武蔵野六中→都立田柄高校 卒
合格体験談を書くのは、これで2回目となります。
僕は高校受験の段階で、「大学に行きたいのならば、はじめから指定校推薦を狙って高校生活を送りなさい!」と高橋先生から命令されました(笑)
だから、高校では欠席や遅刻をしないことはもちろんのこと、定期テスト前には、評定平均が少しでも上がるように指導してもらいました。指定校推薦で大学に合格できたのは、正直ジャムのおかげと言っても過言ではありません。
僕は勉強が嫌いです。ジャムに入る前の中学2年の頃は、5教科の合計点が100点未満でした。でも、高校受験前には300点を超えるぐらいまで勉強しました。
こんなにたくさん勉強できたのは、ジャムがフレンドリーで楽しかったからです。
色々と書かせていただきましたが、ジャムにはかなりお世話になりました。感謝しています。4年半、本当にありがとうございました。