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今年を振り返って2019(5) 12月31日
前回の続きになります。
チェーンの外れた自転車に乗ると、いくら頑張ってペダルを踏んでも、前には進めません。
自分の仕事は、自転車のメンテナンス業のようなものだと思っています。
チェーンが外れたら掛け直し、タイヤがパンクしたら即修理する。いつでも「ペダルを踏んだ分だけ、前へ進む自転車」を提供すべく努める。
人間というのは、
「努力した分だけ、前に進んでいける」
そう本心から思えた時に初めて、いわゆる「やる気」のスイッチというものが、オンになる生き物ではないでしょうか?
だから、「勘が当たった!」といった偶然によって良い点数を取ったとしても、スイッチがオンになることはありません。
自らの足でペダルを回し続け、その中で「着実に前に進んでいる」と心から実感できた時に初めて、自らの手でスイッチを押すのです。
生徒にとって必要なのは、モーターが付いた自転車ではなく、「踏んだ分だけ着実に進む自転車」なのです。
昔はよく、塾や予備校に行けば「誰でも受験テクニックが身に付く」なんて言われていました。
しかし、実際この世界に身を置くと、すべてとは言えませんが、「ガセネタ」だと気付きます。
ペダルを踏むのは生徒自身。自分で回そうとする強い意志がなければ、メンテナンス屋が待機していても何も始まりません。受験テクニックもヘッタクレもないのです。
受験テクニックというものは、一種のスポーツドリンクのようなもの。ペダルを全力で回して汗をかいた後だからこそ、口にした時に体への効果が増すのです。
☆ ☆ ☆
さて、
「空回りの努力」は愚行だと述べましたが、だからと言って私は、「努力」という行為そのものを否定するつもりはありません。
結局、今の私にとって、無駄な勉強法をたくさん知っていることが、授業の現場においては宝物になっているからです。
空回りな努力は、当時は無駄そのものでしたが、今の私にとっては、決して無駄ではありませんでした。ぶっちゃけ、この仕事を長く続けてこられたのは、空回りの努力をいっぱい経験していたお陰なんです。
結局、「無駄な努力」なんてものは、この世に存在しないのです。
— 努力は、いつか何かしらの形で、必ず帰ってくる —
そう生徒に伝えられることが、今は本当に幸せなことなんだと感じます。
☆ ☆ ☆
さて、2019年最後のブログ「今年を振り返って」ですが、よくよく考えてみたら、途中から「自分を振り返って?」になっていました(汗)
当初は、英検の低年齢化の話で“サクッ”とまとめるつもりでしたが、年末のテンションもあってか、“若干”話が膨らんでしまいました。今年最後ということで、恥ずかしい自分語りをお許しください。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
それでは、
生徒の皆さん、
保護者の皆さま、
ご近所の皆さま、
そして、いつも素通りされる通行人の皆さま、
今年も本当にお世話になりました。来年も引き続き、宜しくお願い申し上げます。
皆さまが素晴らしい2020年を迎えられますように。
良いお年を!
今年を振り返って2019(4) 12月28日
前回の続きになります。
「空回りの努力」は、マジで怖いっすよ。
まずは洗脳から抜けられません。それは、自分が間違っていることを直視できないから。
中高生時代の私は、それなりに勉強を頑張っている方だったと思います。
しかし、些細なことで自分なりに理屈が納得できないと、そこから先へは進めない性格でした。
例えば、数学では「これは解き方を覚える問題だ」とか、英語では「これは丸暗記する問題だ」とか言われると、なぜ?が先行して、そこで思考がストップしていました。
今振り返って思うと、ちゃんちゃらおかしいのですが、当時はこれでも真剣でした。
そんな有り様でしたので、定期テストの点数は「一生懸命勉強した割には平均点前後」という、パッとしないものでした。
ぶっちゃけ教師の側から見ると、「真面目だけど、結局は点が取れない薄い存在」だったことと思います。
それでも私は、「勉強というものは、テストの点数よりも、その本質を知ることが大切だ!」
こんな青臭いことを本気で信じていました。しかしこれこそ、ある意味で自分が自分にかけていた洗脳かもしれません。
自分の不器用さを直視できない故に、高尚な理由付けを与えて、自分の置かれた現実をごまかすという愚かな行為に逃げていたのです。
私にとって現実は残酷でした。中3生になると、授業中に寝ていたり、今でいうスクールカーストの上位で調子に乗っている奴らの方が、テストの点数が良いという現実を見せつけられました。
高校生になってからも、それなりに勉強した割には、はなから勉強してない連中と大して変わらない試験結果を何回も見せつけられました。(得点分布表みたいなもので分かりました)
「自分はポンコツなんだ…。」だんだんと自分自身が”ミジンコ”のように思えてきました。
そのうち、「大学進学なんて、どだい無理か…」と思うようになり、勉強から離れ始めました。0点を取ったこともありました。
高校は卒業しましたが、
「卒業式だというけれど、なーにを卒業、するのだろう♪ by チェッカーズ」
という感じでした。
☆ ☆ ☆
今になって分かるのは、
勉強とテストというものは、前述した小アジと大アジのように、ある意味で似て異なるものであるということ。
テストとは、「なぜこういう解法が存在するのか?」とか、「この熟語はどういう構造なのか?」といった学びの本質を問うものではありません。
既に存在する「解法や熟語」といった素材を「どう活用できるのか」を問うものなのです。当たり前と言えば、当たり前のことですが。
本質的な理解なんて、大学に入ってからいくらでも追及すればいいだけのこと。
でも、そういった事情は、後になってから気付いたことで、当時は知る由もありません。
私は「空回りの努力」の達人として右往左往を繰り返し、自身の愚行と正面から向かい合えるまで、普通の人と同じ土俵に立つことさえ、できませんでした。
☆ ☆ ☆
大学在学時、迷わず今の仕事を選んだのは、「空回りの努力」に苦しむ人の力になりたいと思ったからです。(続く)
今年を振り返って2019(3) 12月25日
前回の続きになります。
昔から、「大は小を兼ねる」と言われております。
しかし私は、大は大、小は小、だと考えています。
トイレと同じ(こらっ!)
例えば「アジの開き」って、小アジと大アジとでは、味がかなり違いますよね。
小アジは小アジの味がして、大アジは大アジの味がします。(全然説明になってない)
つまり同じアジでも、別の魚を食べている感覚だということです。
これを、都立高校入試に当てはめて言うならば、
都立高校を第一志望で受験する生徒にとって、
超難関私立高校の英文法正誤問題を解いたり、
日本史資料集の仏像名や人物名を全部覚えたり、
floccinaucinihilipilification(無意味なこと)という英単語を覚えることは、
全くとまでは言いませんが、完全に(同じだろ!)的外れな勉強だということです。
上記ほど極端ではなくとも、方向を誤った勉強法をとると、受験という戦場に丸腰で突っ込むことになります。待っているのは、犬死。
誰より一番辛いのは、本人です。正々堂々と挑んでいるのに、ほとんど結果が伴わないのだから。
仮に、あなたが「世界中の全ての紛争を解決し、人類に慈愛と平和に満ちた世界をもたらす救世主になれる才能」を持っていたとしても、今の社会では「テストという関所」を要領よく越えられないと、高校や大学といった次なるステップに進めません。
そして最悪の場合、そのまま低賃金労働という負の連鎖に引き込まれ、“貧困”という“チンピラ”に振り回され続けます。
貧困というと、「若い時に努力しなかったからだ。自己責任だ。」と突き放す意見を、よくネット上では耳にします。
確かに、一定数の人間に対しては、そういう厳しい意見も当てはまるでしょう。
ただ、忘れてほしくないのは、真面目に生活を送りながらも、「努力が空回り」して貧困の連鎖に陥った人も、同じく一定数いるということです。
これは勉強の世界でも同じです。チャラチャラしてるくせにテストの点数が良い人間と、真面目だけど要領が悪くて点数がイマイチな人間がいるように。
可哀想なのは、もちろん後者。
私は、真面目な人が陥りやすい要領の悪い勉強を「空回りの努力」と呼んでいます。
これこそは、私が塾生に絶対させたくない愚行の筆頭。
それは、中高生時代の私自身が「空回りの努力」の達人だったからです。(続く)
今年を振り返って2019(2) 12月22日
前回の続きになります。
かつて、英語が得意で英検2級(高校卒業レベル)にも合格した程なのに、学校の成績は“3”だった中学3年生がいました。
その生徒は、先生に嫌われていた訳でも、授業を崩壊させていた訳でも、提出物を出していなかった訳でもありません。
ただ、笑ってしまうほど、定期テストの問題と折が合わなかったのです。
「なぜか、合わないのよぉ~」と、本人も不思議がっていました。
一方、難関私立高校の英語の過去問は、毎回サクッと解けていたのですが…。
結局その生徒は、有名女子大学の付属高校にフリーの一般受験で挑み、“英語”を得点源にして合格しました。
さて、そんな彼女の英語の実力というものですが、学校から認定された“3”という成績に見合ったものだったと言えるのでしょうか?
ちょっと意地悪な言い方になりますが、仮にその当時、彼女よりも定期テストで良い点を取っていたクラスメート、もしくは成績が4や5だったクラスメートが英検2級に挑んでいたとしたら、当然のように合格できたのでしょうか?
ぶっちゃけ、かなり厳しいでしょう。
とは言え、私は定期テストが狂っているとか、いや英検の方が狂っているとか、そういった議論をふっかけたいのではありません。
実力を公平に測れるテストなんて、「どだい無理な話」だと言いたいのです。
悲しいかな、“鉛筆一本さらしに巻いて”馬鹿正直にテストに挑むという行為は(人間的には素晴らしいと思いますが)、損をすることが多いということです。
そもそも、テストが本当に全員の実力を公平にチェックできる万能な存在であるならば、塾や予備校なんて初めから存在しませんよ。私はエンちゃんと出会うこともなく、平和な世界でボーっと生きていたはずです(笑)
そう言えば、なんかつい最近まで、どこかのお偉いさん方々が、
「英語は4技能を求めるべきだー!だから民間テストの導入だー!」
「国数は思考力を問うべきだー!だから記述式の導入だー!」と、とち狂ったことを言っていましたね。
現在の高2生をさんざん振り回した挙げ句、民間テストは延期され、記述式は無事白紙に。
思考力を問われるべきは、いったいどちらなんでしょうね。(続く)
今年を振り返って2019 12月19日
つい最近まで、英検協会のウェブサイトには、
「小学生のうちに英検5級の合格をめざしましょう!」
という特設ページがありました。
それを見て私は、「英検の低年齢化」が進んでいる(進められている?)現状をひしひしと感じました。
当教室では、2020年1月に恒例の英検準会場試験が行われる予定ですが、今回も外部の方からお申し込みをいくつか頂きました。
そういった方々の受験級を眺めるだけでも、低年齢化は十分に実感できます。
一例を紹介いたしますと、
小学3年生で英検4級(中学2年終了)チャレンジ!
小学6年生で準2級(高校2年終了)チャレンジ!
といった状況。
英検の申し込み締切日の夜、オンラインで申し込みの入力作業をしていたエンちゃんと一緒に、
「よくよく考えたら、なんかすごいことになっているぞ!」
と顔を見合わせてしまいました。
☆ ☆ ☆
英語というものを、あくまでも“試験教科”という観点から考えた場合は、できるだけ早く始めるに越したことはありません。
ぶっちゃけ、フライングした者勝ちでしょう…。
実際、当塾の生徒さんの中にも、帰国子女でないにもかかわらず、現在は中学3年用のテキストを使って勉強している小学6年生(英検3級取得済み)がいたりします。
一般的に、小学生が塾に通う理由というのは「中学受験対策のため」がダントツですが、近い将来「英検対策のため」という新参者に大きな顔をされるかもしれませんよ。
ところで、世の中には、英検に限らず「試験に向けて対策する」こと自体に、眉をひそめる方もいらっしゃいます。
そういう方々がよく口にするのは、
「テストというのは、実力を確認するもの。だから対策なんて反則だ。」
というご意見。
確かに、ごもっともです。
しかし“現実問題”として、テストというものには、どうしても製作者(学校だと先生)の個性が強く反映されています。
それゆえ、その個性に馴染めた者と馴染めなかった者とでは、ハッキリと点数が分かれます。
「付焼刃でない実力を測る試験」と称される模擬試験でさえ、一度出題形式にサッと目を通したことがある生徒と、馬鹿正直に挑んだ生徒とでは、仮に同等の学力であったとしても、偏差値は笑ってしまうほど異なるのです。
不運にも個性に「馴染めなかった者」の例を、一つ紹介したします。(続く)
めだかスクール(2) 12月12日
前回の続きになります。
私立中学と高校の期末テストが、やっと終わりに近づきました。
私立中生や高校生の場合、教科書が特殊だったり、そもそも使ってなかったりする故、準拠教材というものがほとんど存在しません。
そのため、定期テスト直前期は、生徒からの質問集中砲火を全身で浴び続ける状況が続きます。
一斉授業のように、決められたペースで授業を進行するなんて、夢のまた夢。
とはいえ、タイミングによっては、全員がアウトプット作業(問題演習)に集中してしまい、私はただ様子を眺めるしかない状態に陥る…という場面も、まれに到来します。
そうなると、私はただ、じっと口を閉じているしかないわけでして、何か自然と寂しくなるわけです(笑)
先日、久しぶりにそんな場面が到来しました。
口を閉じてから5分後…
小池:「ううっ…。」
小池:「だ、誰か〜。か、かまって~」
生徒:「…。」
高1生Sさん:「あ、せんせー、今日、通学の時にですね~…」
令和を生きる弱冠16歳のJKから、昭和の団塊jr.のポンコツがなだめられるという異様な光景が繰り広げられました。
☆ ☆ ☆
帰宅時、いつものように武蔵境駅から上りの中央線に乗りました。三鷹駅に途中停車し、吉祥寺駅に向けて発車する時、“お馴染みの発車ベル”が聞こえてきました。
それを耳にした瞬間、Sさんとのやり取りが、ふと頭をよぎりました。
私は自分を戒めるかのように、「めだかの学校♪」の2番の歌詞を噛み締めました。
めだかの学校の めだかたち ♪
だれが生徒か 先生か ♪
だれが生徒か 先生か ♪
みんなで 元気に 遊んでる ♪
さあ、今年も、いよいよ残り20日です。
めだかスクール 12月9日
「そっとのぞいて みてごらん みんなで おゆうぎ しているよ♪」
小さな子どもが三鷹駅のホームで、楽しそうに発車ベルの音に合わせて叫んでいました。
このような光景は、三鷹駅歴20年(利用歴13年+通過歴7年)の私からみても、かなり珍しいものであり、少しほっこりしました。
☆ ☆ ☆
ここ7年、私にとって三鷹駅は通過駅となっています。
とは言え、思い出深い地なので、時々下車して“懐かしの味に触れる”等のリフレッシュをすることはあります。だからある意味、今でもお世話になっている駅です。
この駅では10年近く前に、発車メロディーが「めだかの学校♪」に変わりました。
「なぜにこの曲?」と思い、一度調べてみたことがあります。
「めだかの学校」を作曲した中田喜直氏が、三鷹にゆかりのある人物であるというのが理由だそうです。
ちなみに、中央線の上りでは、前半部分の「めだかの学校は 川のなか~♪」
そして総武線と中央線の下りでは、後半部分の「そっとのぞいて みてごらん みんなで おゆうぎ しているよ♪」
のメロディが流れます。
そんな”恵まれた”環境が影響してか、何を隠そう私は「めだかの学校♪」の歌詞を3番まで暗記しています。(といっても、ネットで検索すれば、すぐに出てきますが…)
実は、生徒にも、エンちゃんにも、両親にも話したことがない特技だったりします。
「別に特技というほどのモノじゃないだろ」というツッコミはお許しください(続く)
ff(フォルテシモ)? 12月3日
いよいよ12月に入りました。
私立中学生&高校生の期末テストど直前&ど真ん中なので、
“師走”という言葉に負けないくらい、塾講師も教室内を走り回っております。
☆ ☆ ☆
翌日に模擬試験を受ける小学生に、エンちゃんが檄を飛ばしていました。
高橋:「最後の問題まで、きちんとやれよ。最後の問題を解くまで、寝たら駄目だぞ!」
O君:「じゃあ、最後の問題から解きます。」
高橋:「ふざけるな!アンパンチするぞ!」
なんか、かわいい。
☆ ☆ ☆
私はプロのギター奏者になりたい。(I want to be a professional guitarist.)
と英語で書こうとしていたM君。
「プロの」って英語でどう書くのか聞いてきました。
私はホワイトボードに、でかでかと、proffessionalと板書しました。
単語をM君が書き写している時に、自身のスペルミスに気付き、慌てて訂正。
小池:「あ~あ、よりによってプロフェッショナルを書き間違えるなんて。こんなのプロとは言えないよ~。」と嘆き声をあげると、
いつも気難しい表情をしているM君が、一瞬ニコッ。
これで、いいのだ…(開き直り)
シャケ茶漬け 11月28日
公立中学生の期末テストが一段落しました。現在は、私立中学生と高校生の期末テスト対策に追われています。
忙しさのピークも来週まで。あと少し!
緊急業務連絡
― 激務を押し付けられている講師の皆さまへ ―
もう少しです。あと少しで解放されます。だから、くれぐれも、脱走だけは、思いとどまってください。
☆ ☆ ☆
雑談中のこと、高2生のY君と「鮭」談義になりました。
昔から思っていることなのですが、鮭って“サケ”と呼んだ時よりも、“シャケ”って呼んだ時の方が、なんか食欲が湧いてきませんか?
その想いを、何気にY君にぶつけてみました。
小池:「サケの塩焼きと言うよりも、シャケの塩焼きって言った方が、なんかお腹が空いてこない?」
Y君:「はい、確かに。」
私は昭和の団塊Jr.世代の人間ですが、令和を生きる10代の若者と鮭に対する感性が一致していたことに大きな喜びを感じました。自身の感性は、まだ永遠の17歳なんだと自負し、さらに続けて、
小池:「だよね!そうそう、お茶漬けだって、シャケ茶漬けって呼んだ方が、」
Y君(突然、真面目な表情をして):「いや、お茶漬けは、サケ茶漬けの方が、美味しそうに聞こえます。」
小池:「あ、はい…。」
― そう簡単には、いかないものです。
シャボン玉の歌(4) 11月12日
前回の続きとなります。
仏教の世界では、0歳~6歳で亡くなった幼子は、三途の川を渡らせてもらえないといいます。
つまりあの世には行けません。たとえ「間引きされた子」であったとしても。
親孝行せずに死んだこと自体が、罪に当たるそうなのです。
その代わりに、そういう幼子たちは、三途の川の手前にある「賽の河原」に連れていかれます。
そこで父母の供養をするように命じられ、幼子らは「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため」と、河原で拾った石を積み上げて塔を作り始めます。
ところが塔が完成しそうになると、地獄の鬼がやってきて、石塔を崩してしまいます。
積んでは崩され、再び積んでは崩される。絶望しかない地獄の日々が延々と続いていくのだそうです。
そういった仏教的な世界観から人生を眺めてみると、この世に生を受けた人間が最初に通過する運命という名の振り分けは、
①小学生まで生き延びる
それ以外は、
②賽の河原行き、
ということになります。
冒頭に登場した「てめー、こら、ぶっ殺すぞぉー、おらっ」の輩は、そういった意味では、①前者に振り分けられた者になります。
地面にうずくまっていた被害者の方も、もちろん前者。そして私も、これを読んでくださっているあなた様も、前者です。
我々は、野口雨情の言葉を借りれば、「飛ばずに消えたシャボン玉」ではなく、「屋根に向かって飛び立ったシャボン玉」なのです。
どうして、「生まれてすぐに、壊れて消える」こともなく、この世に無事に飛び立てたというのに、同じく無事に飛び立てた同士を大切に思えないのでしょうか?
街中で喧嘩騒動の場面に遭遇する度に、また、中学生の自殺といった悲しいニュースを耳にするたびに、
「しゃぼん玉の歌」が、
頭の中で静かに響きます。
シャボン玉の歌(3) 11月9日
前回の続きになります。
その先に待ち構えている状況とは…。
平成から令和となったこの時代でさえも、小学校で必ず目にするであろう出来事のトップ1は、
学校でいじめられ、心を病んでいく子どもの姿
ではないでしょうか?
最近では、
先生からいじめられ、心を病んでいく先生の姿
といった変わり種も登場しておりますが…。
医療と経済の発展により、野口雨情が生きていた時代と比べ、7歳の壁は格段に乗り越えやすくなりました。
しかし、その壁を乗り越えた子どもたちを待ち受ける社会は、あまりに杜撰(ずさん)な状況にあると言っても過言ではありません。
本来、小学校というのは、学齢期という一つの大きなゴールにたどり着いた子どもたちが、いよいよ人生という旅の本番に向かって歩み始める大切な場所。
そこでの生活が子どもたちの人格を形成し、その後の生き方までも決定します。
だからこそ、聖職者と呼ばれる先生方におかれましては、貴殿のクラスでいじめられている生徒がおりましたら、四の五の言わずに、まずは助けてあげてください。
間違っても、加害者と被害者の双方の親の厄介度の比較なんて始めないでください。そういう先生の政治的判断って、実はかなりの高確率で生徒に気付かれています。ただ、気付いていないふりをしているだけのことです。
「向こうの親の方が“影響力が大きい”から、先生は僕を助けてくれないんだ…。」
そう悟った生徒に、救いはあるのでしょうか?
中学1、2年生がいじめを苦に自殺したといった痛ましい記事を読み進めていくと、ほとんどの場合、被害者は小学生時代から継続していじめられていたと書かれています。
7歳の壁を越えた先に広がっていたのは、7年間の地獄…。そんな状況に立たされていたのです。
その心中を思うと、怒りと涙しか出てきません。(続く)
シャボン玉の歌(2) 11月6日
前回の続きとなります。
それは、口減らし。
– 口減らし –
家計の負担を軽くするため、子どもを奉公に出したり養子にやったりして、養う家族の人数を減らすこと。
これは辞書に書かれている説明ですが、当時行われていたのは、こんな人道的な口減らしだけではありません。
「産まれたばかりの新生児を殺す」「遠い場所に置き去りにする」といった口減らしも横行していました。
この、人でなし共があぁっー!と怒りを覚えるかもしれません。
でも大飢饉に襲われた時、特に農村部の貧しい家では、そうでもしないと一家が丸ごと消滅するのです。それ以外に生き抜く術がなかったのです。
どんな時代でも「我が子は目に入れても痛くない」という心情は同じだと思います。
一家を存続させるため、我が子を自身の手で殺めなければならない。どれほどの苦しみであったことか、もはや想像を絶します。
日本には、昔から「七五三」という行事がありますが、内的要因(病気)と外的要因(口減らし)の双方をクリアした者だけが、ようやく7歳まで到達できた時代があったことを思うと、子どもの成長の節目を祝う七五三に込められた意味の重さを感じます。
今から2年前、私は新潟にいる姪っ子の三歳の七五三に招かれました。
そういった背景を知らない当時の私は、「真っ昼間から、新潟の美味い酒が口にできるなんて、有り難い行事だな~」とニヤニヤしながら上越新幹線に乗り込んでいた始末。
タイムマシンがあったら、今すぐその新幹線の中に入って自分を殴りたい…。
「シャボン玉」を作詞した野口雨情が生きていた時代は、子どもが学齢前に亡くなる確率が、サイコロで1が出る確率よりも高いという環境に置かれていました。
その時代に生まれ落ちた子ども達にとって、ピカピカの1年生となって小学校に通うことは、一つの大きな大きなゴールだったと思われます。
もしも、当時の子ども達が現代の子ども達を見たら、どう感じるでしょうか?
同期に生まれた仲間のほとんどが、当たり前のように学齢期を迎え、普通に小学校に入学していく世界。本当にうらやましく思ってくれることでしょう。
しかし、その先に待ち構えている状況を見ても、うらやましく思ってくれるでしょうか?(続く)
シャボン玉の歌 11月3日
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10月31日はハロウィン。
教室では、恒例のお菓子が配布されました。なんか生徒達よりも、私の方がはしゃいでいたような…。
さあ、いよいよ11月に入りました。
今年も残すところ、あと2か月。1年なんて本当にあっという間ですね。
☆ ☆ ☆
ちょうど今から4カ月前のこと、駅前で喧嘩騒ぎを目にしました。
すでに警官が仲裁に入っている状態でしたが、加害者らしき男が、
「てめー、こら、ぶっ殺すぞぉー、おらっ」
と、すでに地面にうずくまっている被害者らしき男性に向かって、声を張り上げていました。
都会では“別に珍しくもない出来事の一コマ”にすぎませんが、
私は最近、そういった光景を目にするたびに、「シャボン玉の歌」の歌詞が頭によぎります。
しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた
しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた
風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ
作詞者である野口雨情(1882-1945)は、誕生したばかりの長女をわずか7日で亡くしています。
それゆえ2番の歌詞は、その時の悲しみを表現したものだと言われています。
*この歌詞が発表されたのは、長女の死から14年後のことなので、異論も存在します。でも私は「遠い日の悲しみを思い出して書いた」可能性はあると考えています。
野口雨情が生きていた時代は、医療が現代とはケタ違いに乏しい状況でした。
なんと「2~3割の子どもが学齢前に亡くなった」と言われます。
つまり「100人中、20人~30人の子ども」が、今で言うところのランドセルを背負う日を迎えることなく、この世を去っていったのです。
現代の感覚からすると、かなり異常な数値に思えます。
だって「100人中、20人~30人」ですよ。
サイコロを振って1が出る確率は6分の1。上記に当てはめても、まだ「100人中、16人~17人」。
それよりも高い確率で、死んでいったのですから。
当時の子ども達の死亡率の高さは、医療の乏しさだけに起因するものではありません。そこにはもう一つ、とても悲しい物語が隠されています。
それは、(続く)
後楽園遊園地? 10月29日
○×高校の入試問題の現物を生徒に見せながら、
高橋:「これが、現ナマだ!」
裏口入学でも、推奨するんですか…。
☆ ☆ ☆
Sさん:「実は私、小学生の時、葛飾北斎のことを、学校の名前だと思っていました!」
今の高校生活が楽しすぎて、「もう、ずっと高1のままでいたい!」と“杉並区の中心で青春を叫ぶ”Sさん。ポロっと黒歴史を話してくれました。
Sさん:「葛飾区にある学校かなと。」
彼女のカミングアウトに大爆笑しながらも、私は内心で、その勇気を讃えていました。
だって私にも、
小池:「実は…」
と言いかけて、結局、言えなかったこと。
「実は私、高校3年生の途中まで、兼六園のことを、遊園地の名前だと思っていましたーーっ!」
あ~、スッキリした。
天使と悪魔 10月25日
通勤の途中、雑貨品を買おうとして、通りがかりの店に立ち寄った時のこと。
「お風呂のカビ取りスプレーと、単4電池を5本」手に取って、レジに向かいました。
店員:「合計で220円になります」
小池:「ええっ??」
小池(心の声):「これ、絶対に500円は超えているはずだよ。電池だけでも200円以上するはずだし。」
レジの打ち間違えかな。それにしても、合計金額が220円なんだよ。普通は気付くでしょ、と半分首を傾げながらも、
「このまま支払いを済ませば、かなりお得じゃないか!」という“悪魔の声”が、頭の中でささやき始めました。
同時に、「正直に指摘しよう!」という“天使の声”もリングに入場。
格闘のゴングが、カーン!(おいこら)
2秒後、私は天使の声に従い、店員さんにそれとなくレジの打ち間違いを伝えました。
小池:「あの~、ちょっと安すぎませんか?」
そう伝えたところ、唖然とした表情をした店員さん。
しかし、その“唖然さ”は、こちらが予想していたような“唖然さ”とは違う種類のものでした。
店員:「100円ショップですので。」
小池:「あ…。」
ブーメラン 10月21日
この度の台風19号の被害に遭われた地域の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早く平常の生活に戻ることができますよう、お祈り申し上げます。
☆ ☆ ☆
今回の台風により、時代は令和になろうとも、「天災」に対しては相変わらず「なすすべがない」ことを、改めて痛感いたしました。
ただ、下記に紹介する「人災」に対しては、「なすすべがあるだろう!」と怒りを覚えずにはいられません。
鹿児島県の高校のサッカー部の監督が起こした体罰事件。
呼びつけた生徒の脚をいきなり蹴飛ばして、そのまま顔に張り手をかまして地面にぶっ倒す。暴言も吐く。
まさに、昭和の“ど真ん中”じゃないですか。
この監督の言い分も、前回の「認識が甘かった」同様、イライラするものがあります。
「素直に話を聞かないので言ってもダメだと。手を出してはいけないのは分かっていたけど、出してしまった」
仮に百歩譲って、“素直に話を聞かない生徒が悪い”と、監督の言い分を受け入れたとしましょう。
でも、その場合は...
監督は先月、別の生徒に対しても首を殴るという体罰を行っており、その件で“上の者”である校長先生から注意を受けています。
当然、「暴力を伴う指導はやめなさい。」と話を聞かされた訳です。
で、まだほとぼりが冷めないうちに、今回も生徒に暴力を振りました。
校長先生!この監督は素直に話を聞かないので言ってもダメかと。手を出してはいけないのは分かっていますが、出してください。
校長室に呼びつけていきなり脚を蹴飛ばして、顔に張り手をかまして床にぶっ倒してください。あと、暴言も忘れずに。
...となりますね。
確かに、昭和時代の一部の体育系のように、先生の言うことを聞かず、時に威嚇してくるような“履き違えた輩”が相手だったら、話は全く別です。
でも、今回の事件の動画を見る限り、生徒は監督に呼ばれて近づいた途端、いきなり蹴り&張り手を食らっています。
監督が呼んでも、生徒がしばらく「無視していた」とかだったら、分かりますが。
少なくとも生徒は、監督の指示に従っていたのです。プレー中に呼ばれ、指示に従ったから近づいたのです。昭和の“履き違えた輩”とは違うんです。そんな生徒に対し、どんなに“熱き思い”があったとしても、いきなり暴力&暴言のダブルコンボは、理不尽そのものです。
ある環境下において、動物園のボス猿と同じような権限を与えられた時、本物の猿と人間の違いって何でしょうか?
そういったことを考えるのが面倒くさいのなら、「脳筋」と笑われても仕方がありません。
世の中には、学生時代に受けた“ご指導の賜物”で「心に傷を抱えながら生きている人間」だっているんです。
こういった事件は、まだ氷山の一角にすぎません。本当に悲しい。やり切れない思いしかありません。
言い訳の魔法 10月12日
たっのしぃ~~いっ、なっかまぁ~~がぁ、ポポポポ~ン♪
ACジャパンの「あいさつの魔法」がTVを占拠したのは、もう8年以上前のこと。
タイトルの魔法は、それ以前の昔から、何かやらかした時に使われているもの。
☆ ☆ ☆
あきれてしまうを通り越し、ぐるっと一周して再びあきれてしまった「神戸の市立小学校の教師いじめ」。
会見では、やっぱり来たか…、言い訳の常套句が、
「認識が甘かった」
☆ ☆ ☆
街中でチンピラ達に絡まれている一般人を見た時、あなたはどうしますか?助けますか?
助けたくても、傍観するのが精一杯。私もそうです。勇み足を踏んでも、一歩間違えれば加害者に。それが現実です。
でも、そういう現場には、だいたい途中から警官が駆けつけてくれるものです。
それは、どうしてなのでしょう?
もちろん、現場にいる誰かしらが通報しているからです。
自分では助けることができなくても、目の前で起きている出来事の“ヤバさ”を常識的に認識し、警察に通報するという義務を果たしているのです。
さて、
コピー用紙の芯で何度も叩かれて「尻がミミズ腫れになった」と知らされたら、誰でも“ヤバい”と認識しませんか?
こんな常識レベルの認識について、わざわざ“甘かった”、“辛かった”といった評価を施すなんて、よっぽどのグルメ通としか言いようがありません。
☆ ☆ ☆
―認識が甘かったー
「生徒に大怪我を負わせた自称熱血教師たちの常套句」部門、 堂々のNO.1。
「生徒を自殺に追いやった熱血部活指導員たちの常套句」部門、堂々のNO.1。
「生徒が自殺するまでいじめ問題を華麗にスルーし続けた華麗なる先生たちの常套句」部門、 堂々のNO.1。
毎年、悪事をやらかして懲戒処分された教職員(27年度が224人、28年度が226人、29年度が210人/文部科学省の平成29年度公立学校教職員の人事行政状況調査による)の常套句部門でも、おそらく堂々のNO.1ではないでしょうか?
長きに渡り王者に君臨する「言い訳の魔法」。
塾のホームページで、こんなことを書いてしまったら、色々と批判を受けてしまうかもしれません。
でも、これも偉大なる先人たちと同じで、
私の「認識が甘かった」
ということで、どうぞご理解ください。
10月に入りました 10月3日
10月に入りました。消費税が10%になりました。
9月30日の深夜、仕事帰りのこと、
冷蔵庫の麦ジュースが“寂しい状態”になっていることを思い出した私は、行きつけの24時間営業のスーパーに立ち寄りました。
しかし、入り口に待ち構えていたのは、
「消費増税に伴う店内作業により、30日の○時から1日の○時まで、休業致します」
といった内容の張り紙と、閉じられたドア。
唖然としながら、そう言えば「2週間前から張り紙がしてあったなあ~」と思い出し、同時に「毎回きちんと読みもしないで、素通りしていたなあ~」と思い出しました。
日頃から生徒に「設問の指示文は“毎回きちんと読み”なさい!」と言っておきながら、当の本人がこの有り様です(汗)。
「これはもう、勉強料だ!」と自分に言い聞かせて、コンビニで定価に近い価格の麦ジュースを、上がりたてほやほやの消費税10%で買って帰りました。
増税直後の1時間以内に起こした“無駄に洗練された無駄遣い”。
もう、開き直るしかありません。
☆ ☆ ☆
H君:「アメリカには、4ドルの車が売ってるんですか?」
中間テスト期間に入り、連日ジャム漬けの日々を送るH君。いきなり突拍子もないことを聞いてきました。
*クリックで拡大します
小池:「え、400円で車が買えるって?それってなに、一体どういうこと?」
H君:「この英文って、“私の父は4ドルの車を所有している”っていう意味ですよね?」
老眼を凝らして、じっと問題文を眺めると、
小池:「こ、こ、これは、“私の父は4ドアの車を所有している”じゃぁーーっ!!」
H君:「ぐふっ。」
four dollars 4ドル
four doors 4ドア
セクシーな戦略 9月27日
環境相の「セクシー発言」が取り沙汰されております。
私は塾のホームページにおいて政治的な発言は慎むべきだと考えておりますので、この騒動に関する私見は割愛させていただきます。
ただ、せっかくなので、この件で注目を浴びたsexy(セクシー)という単語について、少し掘り下げてみたいと思っています。
☆ ☆ ☆
無料のオンライン辞書「メリアム・ウェブスター英英辞典」で、”sexy”(セクシー)の意味を引くと、
Definition of sexy
1: sexually suggestive or stimulating : EROTIC
2: generally attractive or interesting : APPEALING
と、出てきます。
1: EROTIC(エロティック)。
その次に、2: APPEALING(アピーリング=魅力がある)。
すでに様々な人から指摘されているように、「セクシー」という単語は、後者の意味で使われることも珍しくはないそうです。
*言うまでもないことですが、人様に対して「セクシー」と発言したら、当人は2: のつもりであったとしても、それは間違いなく1: の意味で伝わると思います。ご注意を。
何かに対して「魅力がある」と伝えたい時、「セクシー」という単語は、その対象や状況が適切であれば、“効果的な演出をもたらしてくれる”らしく、「コンサル業界では多用されている」という記事も目にしました。
環境相は、あえて“変化球”(セクシー)を投げ返すことで効果的な演出を狙ったところ、別の意味で(?)反響があったというのが、今回の経緯だと感じます。
☆ ☆ ☆
上手な例え話にはなりませんが、
例えば、“バカ”という単語。
人に対して使うと、単に人間関係を崩壊させるだけですが、
モノに対して使った場合、「壊れる」「役に立たない」といった意味が効果的に演出されます。
サイズが合わないドライバーを使ったら、ネジ穴がバカになっちゃった。
“ド直球”で「ネジ穴が壊れちゃった」と表現するより、相手に伝わるインパクトが適度に増します。
でも一方で、“バカ”という表現の粗暴さ故に、幼稚っぽく聞こえてしまうことも確かです。
つまり、TPOを見極められないと、本当の意味で効果的に使えないのです。
こういった“玄人好み”の“諸刃の剣”って、使いこなすのが難しそうです。
☆ ☆ ☆
さて、「諸刃の剣を果敢に使いこなせる人材を社会に輩出しようという使命感を担う当塾」では、今回の件を機に、「魅力がある」という言葉を用いる際は「セクシー」を使うことをしばらく義務付けたいと考えています。
数学の授業中・・・「もっとセクシーな証明をしなさい!」
進路相談中・・・「君にとって本当にセクシーな学校を選ぼう!」
エンちゃんとのミーティング中・・・「セクシーな企画書を考えました!」
かなりセクシーな発想だと思うのですが。
ちゃん・リン・シャン♪ 9月22日
ちゃんと・リンスする・シャンプー♪
これに懐かしさを感じた方は、間違いなく40代以上です。
「ズバリ、そうでしょう!」 by 丸尾
☆ ☆ ☆
西東京市の一部の公立中学では、早くも中間テストが始まりました。
ここ武蔵野市では、だいたい10月に入ってから始まりますので、西東京市が終わったら次は武蔵野市と、ちょっとした桜前線みたいなもんです。
当教室では現在、西東京市の生徒さんがじわじわと勢力を伸ばしている関係上、講師たちは、両市をまたぐ“ロングスパン”での中間対策に追われています。
日々順調に、ブラックに近づいております♪
☆ ☆ ☆
エンちゃんは時々、部活で忙しい生徒の週末の授業予定に関しては、普通のバージョンと、大雨バージョンの2つを用意することがあります。
大雨で練習や試合が中止になった場合、生徒を塾に監禁して、一秒でも多く勉強させるためとか(怖…)
それゆえ、週末の時間割を作る作業はいつも難航します。エンちゃんは金曜日になると、毎回般若のような形相で、この難問パズルとにらめっこしています。
20日の金曜日、
入塾してまだ1~2カ月の中1生H君と、週末の授業予定を決めていた時のこと。
高橋:「天気予報によると、週末は雨がパサつくらしいんだ。だから、」
中1生H君:「パラつくです。」
高橋:「あ…」
とうとう、中1生にも“ツッコまれる”ようになってしまいました。
個人的には、いつも丸刈り頭で「ちゃん・リン・シャン♪」とはまったく無縁の世界に生きるエンちゃんが、なぜに「(髪が)パサつく」という言葉を発したのか、気になって仕方がないところです。
串と櫛 9月16日
近所のスーパーマーケットで買い物をしていた時のこと。
小池:「すみませ~ん!“くし”って、どこに置いてありますか?」
店員:「“くし”ですか?それでしたら(洗面用具売り場を指して)こちらになります。」
小池:「あ、その“くし”ではなくて、竹でできた“くし”です。」
店員:「え、竹製の“くし”ですか?当店には、プラスチック製しか用意しておらず…」
小池:「あ、ええと、食材に刺す“くし”の方です。焼き鳥とかで使う“くし”です。」
店員:「ああっ、その“くし”ですね。それでしたら、こちらです。」
店員さんのあとについて行き、“串”の置いてある棚へ無事到着。
自身の伝達能力の乏しさを痛感しつつ、漢字の偉大さを痛感いたしました。
「紙を無駄にするな!」と紙に書いて掲示する 9月15日
9月も中旬に入り、ずいぶんと過ごしやすくなりました。
あの猛暑もどこへやら、っていう感じです。
汗っかきの私は先日まで、出勤するとそのまま地下室に潜り、汗だくの服を着替えてから授業に入っていました。
家を出る時は、慌ててカバンに着替えを詰め込む毎日でしたが、その作業とも、来年までお別れです。
☆ ☆ ☆
とあるJKの面白い愚痴話を一つ紹介します。
自宅にいる時、スマホを使っていたら、親が、
「スマホばっかりいじってるんじゃないよ!」
と、スマホからメッセージを送ってきたんです。
話を聞きながら、彼女のご家族のほのぼのした暖かさと、ユーモラスさを感じました。
とある男子中学生の面白い愚痴話を一つ紹介します。
休み時間、スマホを使っていたら、高橋先生が、
「このスマ中(スマホ中毒)が!」
と、講師の先生とラインをしながら僕に叫んだんです。
話を聞きながら、教室内のほのぼのしない理不尽さと、昭和の香りを感じました。
香り高い勘違い 9月8日
He is tall. 彼は背が高い。
英語の比較級を学ぶ際に、必ず最初に登場する英単語として定評のある、tall(トール・背が高い)。
中2生以上には、もうお馴染み過ぎる単語です。
ところが、「tall(トール)の意味を書け」という、あり得ないほど“易しすぎる”問題で、「ふつう」と解答欄に書いていたI君。
さすがに、記入場所を間違えただけだろう、と思って尋ねてみると、
I君:「ええっ、tall(トール)って、“ふつう”っていう意味もありませんか?」
と、真顔で返答されてしまいました。
驚いて、こちらも真顔で、
小池:「ええっ、tall(トール)だよ!比較級の最初の奴。背が高いトオル君だよ!」
I君:「だって~、スタバでMサイズを頼む時、Tall(トール)って言うじゃないですかぁ~。」
小池:「あ、確かに…。」
納得してどうする。
9月に入りました 9月3日
今年の夏期講習は、8月31日をもって無事に終了いたしました。
今回の講習は、ある意味で猛暑との戦いでした。エアコンと扇風機と「うちわ」が大活躍しました。
そんな講習を終え、疲労が知らず知らずのうちに蓄積していたのでしょうか、翌日9月1日の私の起床時刻は、夕方4時でした。
ドラキュラ生活への復活に向けて、さっそく着実な一歩を踏み出していました。
☆ ☆ ☆
前回のブログで紹介した、8月25日の会場模擬に挑む中3生たちに、エンちゃんが「ぶち切れて、高得点を取ってこい!」と不思議な”檄“を飛ばした件ですが、
その効果があったのか、なかったのか、帰ってきた模擬結果を見ると、夏期講習期間を通してジャムで一番長い時間頑張った生徒2名が、3教科で偏差値70の大台に乗る結果を出していました。
努力がしっかりと実っていく瞬間を目撃すると、講師というものは、仕事にますます“やりがい”を感じるようになります。
そうなるとエンちゃんも、講師という純粋な生き物から、「やりがい搾取」を行いやすくなります。
これこそまさに、お互いにとって「Win Win」の関係!(それこそ、ブラック企業の手口だろ!)
☆ ☆ ☆
いよいよ2学期。中3生にとっては、内申点が決定する大切な時期です。
今年のサンマはかなり高騰しておりますが、それでも実りの秋を実感できるように、生徒たちと共に奮闘して参りたいと思います。(サンマは、関係ないだろ!)
NIGNIO(二グニオ)? 8月26日
6週間に渡る夏期講習も、気が付けば最後の1週間に入りました。
私のような夜行性のドラキュラにとって、夏期講習というのは、お天道様が照っている時間帯に仕事をするという、非日常的な世界。
ドラキュラ生活に戻れるまで、あと1週間…。
☆ ☆ ☆
土曜日の授業中、
翌日25日の会場模擬に挑む生徒たちに、エンちゃんが檄を飛ばしていました。
おそらく、「もう、ぶっちぎりの高得点を取ってこい!」
と、言いたかったのでしょう。
ところが、よりによって何を言い間違えてしまったのか、
高橋:「もう、ぶち切れて高得点を取ってこい!」
生徒:「・・・?」
*当塾では、模擬試験会場で分からない問題があった時、その場で暴れるようなことは推奨しておりません。
☆ ☆ ☆
「O」のマークが、隣にもう一つ出現しました。 *写真はイメージ図
8月はギャグみたいな猛暑が続きましたが、やっと23日の金曜日あたりから“普通の暑さ”となり、過ごしやすくなりました。
おかげで前回の休日ランニングは、若干快適になりました。
路上で寝そべっていた猫も、しっかりと逃げるようになりました。(これはちょっと寂しい)
とはいえ、真夏であることに変わりはありません。やっとこさ自宅に戻って来た時には、全身は汗でビタビタでした。
早速、シャツを脱いで洗濯機に放り込もうとした瞬間、
何気にシャツのマークに目をやると、不思議なことに、隣に同じマークがもう一つ出現していました。
「あれれ??」
IGNIO(イグニオ)の”O“のマークが、突然、二つになっていたのです。
訳が分からず、老眼の目を細めながら、よくよく見てみると、
なんと、サイズといい、長さといい、ちょうど線の太さと胴体の太さがピッタリの小さな青虫が、同じ形に丸まって張り付いていました。
「う、ぐぁぎゃやーーっ!!!」
深夜に、”喉の奥から湧き出る悲鳴を懸命に噛み殺しながら青虫を取り外す作業”は、ある意味、ココイチの5辛カレーを頬張る苦しさに似たものがありました。
今年も大騒ぎ!金魚すくい大会~令和元年スペシャル! 8月14日
8月11日、恒例の金魚すくい大会が開催されました。
猛暑の中、参加者は120名を超えました!使用したポイは、なんと2500枚!
通行人の方の飛び込み参加はもちろんのこと、“授業日と勘違いして普通にやって来た生徒”など、珍客にも恵まれました。
また今年は、いよいよママになった卒業生が子どもを連れてやって来てました。
まだ金魚がすくえる年齢ではなかったのですが、手づかみで楽しそうにスーパーボールをすくっていました。
そんな光景を眺めながら飲んだキンキンに冷えた麦ジュースは、もう格別の味でした。
☆ ☆ ☆
毎年、金魚すくい大会を手伝ってくれる卒業生のK君。別の名を「金魚先生」。
昨年の大会では、「5匹を同時にすくう」という偉業を達成した誰もが認める金魚すくいの達人です。➡2018年金魚すくい大会
今年は、それを上回る記録に挑んでくれました。
金魚同時すくいチャレンジ1回目の動画撮影時間は約2分間。
開始早々、金魚先生は4匹~5匹同時すくいを連発させ、観客を驚愕させました。それでも、5匹の壁は超えられませんでした。
ところが、チャレンジ2回目の動画撮影を開始してから、約10秒後のこと。
いきなり本気を出した先生は、あっという間に、“6匹同時すくい”という快挙を成し遂げてしまいました。
すくった直後は、なんと8匹も入っています!
実は、すくった直後のポイの中には、8匹も金魚が入っていたんですが、お椀に入れる直前に、惜しくも2匹落としてしまいました。
だから正直、これはちょっと悔しさも残る記録ではあるんです。このリベンジは、来年の楽しみに取っておくことになりました。
2匹落として、6匹になってしまいました。
今年もお手伝いしていただいた講師スタッフ&卒業生の方々、本当にお疲れさまでした。
猫ふんじゃった♪ 8月10日
ご無沙汰しておりました。
気付けば、夏期講習は折り返し地点。本当にあっという間です。
そして明日は、いよいよ金魚すくい大会!
今年は、どんな伝説が生まれることでしょう。
☆ ☆ ☆
誰もが一度は見かけたことのある「路上で横になっている猫」。
そっと通り過ぎようとしても、ある程度近づいた段階で、猫は逃げ出してしまいます。
私はそのたびに、何となく他人様の平穏な時間を乱した罪悪感に駆られてきました。
「私は君の横を通過するだけだ。何も危害を加えたりはしない。だから、そのままじっとしていなさい!」
仮にそう呼びかけても、言葉は通じません。
☆ ☆ ☆
休みの日は、ビールを美味しく飲む為に健康の為にランニングをしておりますが、8月に入ってからは猛暑日続きで、もはや単なる拷問と化しております。
前回のお休みの日は、日中35度を超える猛暑日だったので、気温が下がるのを待ち、23時近くに走り始めました。
いつものコースを走っていると、珍しく前方に「路上で横になっている猫」が見えました。しかも2匹。道の真ん中に1匹、右端に1匹。
いつもと違うのは、通常ならば猫が逃げ出す距離まで近づいても、逃げずにじっとこちらを見ているということ。
私は徒歩ではなく走っているんですよ。猫から見たら、“ぜえぜえハアハア言いながらドロドロ汗を流した生命体”が、自分に近づいてくるのですよ。
「おぞましいこと、この上なし」のはずですが、
2匹とも微動だにせず、でした。
不思議に思いながら、猫をじっと見ていると、
猫の目:「もう暑くて暑くて、逃げたく(動きたく)ニャイんだよ~。たのむから、今日のところは空気を読んでくれよ。」
と、訴えているように感じられました。
小池の目:「分かった。でも、私は向こう側に行きたいんだ。だからそっと横を通らせてくれ。」
速度を落として、静かに猫の横を通過しました。
驚くことに、通過中に猫は2匹とも逃げませんでした。
一瞬とはいえ、猫と以心伝心を果たすというミラクルを味わった瞬間。
その後のRUNは、ちょっぴり快適に感じられました。
金魚すくい大会~令和元年スペシャル! 7月24日
恒例となったジャムスクールの金魚すくい大会!今年も昨年同様、8月11日に開催いたします。
多くの方にご参加頂きたいとの思いから、今年も休みの日に日程を合わせました。
小さなお子様でも楽しめるよう、破れにくい4号ポイや、破れないネットタイプも、たっぷりご用意しております!
金魚はすくい放題!回数は無制限!
時間の許す限り、心ゆくまですくってくださいね。希望される方には、お好きな金魚をお持ち帰りいただけます。
大会当日は、ジュースやお菓子だけでなく、大人向けの麦ジュースと愉快な仲間たちや、おつまみもお楽しみいただけます。
参加費用は一切かかりません。塾生の関係者はもちろんのこと、これまで通り、“通行人”の方の飛び入り参加も大歓迎です。
ご家族やお友だちなどお誘い合わせの上、是非ご参加ください。
それでは、8月11日(日・祝)に皆さんとお会いできることを、講師一同、心より楽しみにお待ちしております。
ジャムスクール 金魚すくい課 第一課長 高橋 裕
タイムスリップ 7月17日
先日、私用で一つ手前の三鷹駅で下車した時のこと。
「久しぶりに…」
小雨の中、傘もささずに向かったのは、旧教室の隣のビルにあった中華料理屋さん。
当時、行きつけだったお店です。毎回、ほとんど同じメニューを食べていた記憶があります。
前回最後に食べたのは、まだ当塾が立ち上がる前のことで、およそ7年前。
旧教室はビルごと跡形もなく消えておりましたが、隣のビルとお店は、まだ健在でした。
久しぶりに入店し、懐かしのカウンタ―席に。いつも食べていたメニューを注文。
店内は内装が少し変わった程度で、テーブルの配置やメニューの種類、音量高めのBGMなどは、昔のままでした。
懐かしい変わらない味のスープを口に含むと、昔の記憶が不思議なくらいに蘇ってきました。
・卒業生に連れられて、初めてこの店に来た時の記憶。
・授業の前だったのに、うっかり餃子を注文してしまった時の記憶。
・カウンター席に座り、ふと横を見ると、そこにエンちゃんがいた時の記憶。(おまけに、頼んだメニューが同じ。)
などなど
スプーンを口に運びながら、思い出をスパイスに舌鼓を打ちました。
食べ終わるまで、10分もかかりませんでしたが、夢のタイムスリップを十分に味わい尽くせました。
ただ、唯一タイムスリップできなかったものがあります。
それは「胃」。
最後のスプーン2~3口が、もはや“フードファイト状態”。
「も、もう、食べられない~。お腹いっぱいだよ~」
昔は、ペロッと平らげていましたが…。
年を取り、少食になっていた自分に気付かされました。
年月が過ぎても、“思い出の味”は変わらず。変わったのは、自身の“胃袋”。
合計三泊? 7月10日
前回、夏期講習に関してお伝えいたしましたが、
何気に講習の日程を見直しながら、今更ではありますが、改めて気付いたことが一つあります。
それは、講習期間中に5回到来する中休み日が、今年は偶然にも、すべて日曜日と重なっているということ。
つまり、今年の夏期講習期間中における生徒(&講師)の生活は、
月曜日~土曜日
→エンちゃんの監視下での強制勉強(&強制授業)
日曜日
→心身ともにボロボロになった自分自身を回復させるべく、休息に集中。
これを6回繰り返すと、念願の9月に突入!ブラック期間から晴れて解放される。
ということになりそうです。
生徒にとっても、講師にとっても、分かりやすいと言えば分かりやすい日程です。
そんな今年の「監禁スケジュール」を、エンちゃんが意気揚々と生徒に話していた時、
高橋:「とは言っても、ご家族のイベントは、最も優先すべき事項とする!例えば、もしも一泊二泊の家族旅行が計画されていたら、その時は遠慮なく…」
生徒:「…??」
一泊二日ではないのかと…。
まるで塾みたい 7月5日
植物の浸食が進んでいます
私立中生と高校生の期末テスト対策は、いよいよ大詰めを迎えています。
連日、睡眠時間を削って勉強していることが伺える高1生のSさん。
自習時間は、睡魔と懸命に戦っています。
そんな“頑張り屋さん”過ぎる彼女が、国語の問題を解きながらボソッと放った一言、
Sさん:「ああ、もう安らかに寝たいです。」
ある意味、大きな誤解を招きかねない絶妙な表現技法に、ゾクッとさせられました。
☆ ☆ ☆
今年度の夏期講習の案内を、ホームページに掲載いたしました。
昨年まで、案内の製作に取り掛かるのは、期末テスト対策が終了した七夕以降でした。
それ故、講習まで10日を切ってから、やっとこさ案内が掲載されるという珍事もありました。
今年は、あらかじめ隙間時間を上手く活用したことで、なんと!当塾創立以来初となる“16日前掲載”というミラクルを成し遂げました。
「ナンダカンダ言っても、去年の使い回しでしょ?」
腐海に沈むのは、時間の問題です
世の中には、心で思っても、口に出してはいけないこともあります。ご了承ください。
嬉しいことに、ホームページを見た生徒の一人から、
とある生徒:「せんせー、今年は夏期講習のやつ、なんか早いですね。なんか塾みたい!」
と、お褒めの言葉をいただきました。
小池:「そうだろーーっ!!、まるで塾みたいだろーーっ。すげーだろーーっ!!」
このままでいいのか…。
ふと我に返った、今日この頃。
玉ねぎを入れ忘れたカレーライス 7月1日
夜のユリも、また一興
7月に入りました。
怒涛の公立中学生の期末テストシーズンが過ぎました。
やっと一息つけるかと思いきや、まだ、私立中学生と、高校生が残っています。
ゴールテープまで、あと1週間!
ちなみに、1週間後の日曜日は、英検の2次面接試験日です。
<業務連絡>
講師の皆さま、7月7日は英検2次試験日です。その為、授業終了後には恒例の強制残業が残っております。くれぐれも授業終了後に、脱走しないでください。
☆ ☆ ☆
Sさん:「時刻で生産するって、どういうことですか?
小池:「??」
住みたい街ランキングの第1位に長年君臨した吉祥寺を経由して、毎日杉並区にある都立高校に通う、自称“通学コースが勝ち組”を謳歌している高1生Sさん。
高校の授業で板書したノートを見直しながら、摩訶不思議な質問をしてきました。
Sさん:「だって~、先生が at home の和訳を、“家で”ではなく、“時刻”だと言ったんです。」
小池:「そんなこと言ったの?ちょっと、ノート見せて。」
数秒後、
小池:「こ、これは、“時刻で”じゃなくて、“自国で”じゃぁーーっっ!!」
Sさん:「い、いやーーーっっ!!」
☆ ☆ ☆
magazine「雑誌・マガジン」のスペルを書く問題で、eをつけ忘れて magazin と書いてしまった高1生のSさん(上記のSさんとは別人です)。
でも、最後の1文字を書き忘れるスペルミスは、個人的にはかなり惜しい間違いだと思います。
励ますつもりで、
小池:「うわーっ、惜しい!最後に何かを1つだけ入れ忘れてるよ。料理に例えると(空腹だったので)」
Sさん:「例えると?」
小池:「最後に味噌だけ入れ忘れた、味噌汁。」
Sさん:「??」
隣に座っていた男子高校生S君:「それだと、根本から足りないと思います。」
小池:「あ・・。」
確かに、味噌汁から遠く離れて、“お吸い物”になってしまいそうな。
タイトルのように、言うべきでした。
ただいまブラック期間です 6月27日
現在は、中学生と高校生の期末テストシーズンど真ん中。
不思議なことに、毎年1学期の期末テストは、中学生と高校生のテスト日程が思いっきり重なります。
それゆえ、例年この時期の教室は、連日フル稼働状態。
入り口は下駄箱に入り切らない生徒たちの靴であふれ、床は生徒たちのカバンと教材であふれ、空気はエンちゃんの罵声であふれます。
戦場と化した教室で、エンちゃんという“羊の皮を被った狼”に雇われた我々講師は、ボロボロになるまで授業をさせられます。(特に太田先生に対しては、もはや裁判を起こされそうなレベルです。)
言うまでもなく、心身ともに「ぼろ雑巾」のようにズタズタになります。
でも、教室から一歩外に出ると、目に飛び込んでくるのは、歩道の花壇に咲き始めたユリの花。
頭の中に、槇原敬之の名曲「世界に一つだけの花♪」が流れ始める…。心が癒され、精気が蘇り、頑張っている自分に誇りを感じ、再び教室に戻る…。
これが、毎年恒例の流れです(どう見たって、ブラック企業の手口だろ…。)
*今回の写真ですが、景色に電車を入れて撮る「撮り鉄」ならぬ、景色にバスを入れて撮る「撮りバス」を試みました。
☆ ☆ ☆
中学の英語教科書には、時に高校生でも正確に書くのが難しい単語が登場してきます。
単語をストレートに書かせる残酷な天使のテーゼ問題は滅多に出ませんが、教科書に存在する以上は、立派なテスト範囲。書く練習をするように推奨しております。
小池:「この単語ね~!これって難しいよね。でも、万が一のために、一応は書けるようにしておこう!さあ、でっかく書くから、スペルをよく見て~。」
そう言って、ホワイトボードにでかでかと embarassed と書きました。
ノートに書き写している生徒を見ながら、何気にホワイトボードに目を遣って板書を見つめた瞬間、
小池(心の声):「し、しまった。r が一つ抜けていた…。」
embarrassed 「気まずい」
なんちゅうしだ 6月20日
「それで、南中高度の計算の仕方は…」
中学理科でお馴染みの「南中高度(なんちゅうこうど)」という言葉。
理系の講師やエンちゃんが、この言葉を使うのを耳にするたび、私はいつも不思議な懐かしさに包まれます。
理科自体に関係する懐かしさとは違います。
特に「南中高度」の「なんちゅうこ・・」までが、妙に懐かしくも、しっくり響くのです。
かれこれ6年以上、響きの正体が何なのか心に引っかかっていながら、全く思い出せないままでした。
ところが、昨日英語の授業中、その正体が突然頭の中に降臨することに…。
あまりの馬鹿馬鹿しさに、生徒の前で思い出し笑いをしてしまうところでした。
響きの正体は、甲州弁。
「なんという」は、甲州弁で「なんちゅう」に変化します。
「こと」は「こん」。
語句をつなげると、
小池:「正体はこれかぁ~。これまで気付かなかったなんて、なんちゅうこんだ(なんということだ)。」
*タイトルは、「なんという人たちだ」です。
甲州弁で「人たち」は、なんと、たった一文字の「し」に変化します。
「あの人たち」→「あのし」
もはや、外国語です。
年齢証明 6月17日
Sさん:「だから、ずっと猫背にしていました。」
小学生時代に、一気に背が伸びたという高1生のSさん。
中学に入ってからは止まったそうですが、それでも現在の高校のクラスでは、上から3~4番目にいるそうです。
小学生時代の彼女がどれほどノッポさんだったか、想像できるでしょう。
夏休みなど、小学生以下のバス料金が一律50円になる時が、一番つらかったと話してくれた彼女。
乗る時、ちゃんと運転手さんに「小学生です。」と言ってお金を入れても、機械から出てきたお釣りを数えると、大人料金のままだったりとか…。
中には、「嘘なんて、つかない方がいいよ。」
と、一方的に言ってきた運転手もいたとか…。
「どうすれば、背が伸びなくなるの。もう、身長、とまってーーー!!!」
小学生ながらに、こんなことばかり考えていたそうです。
話を聞きながら、なんか気の毒になってしまいました。
考えてみると、小学生が自分の身分を証明する方法って、その場に親でもいない限り、なかなか難しいですよね。
中学生には学生証という「身分証明書」がありますが、私立ならともかく、公立の小学生は学生証なんか持っていません。
又、そもそも学生証自体、通学定期などの学割目的を除けば、“一定の年齢を超えている”ことを証明するために使用されるケースがほとんどで(居酒屋や競馬場など)、“一定の年齢を超えていない”ことを証明するために使用されるものではありません。
試しにちょっとググってみたところ、小学生なのに“そう見えなかった”ために、嫌な思いをした人は結構いるようです。
これはもう、我々大人側が、気をつけるしかないのではないでしょうか?
誰しも、年を重ねれば重ねるほど、常識や一般論にとらわれがちになります。しかしだからといって、“聞く耳を持つ”ことを忘れたら、単なる思考停止と同じです。
特に相手が子どもの場合は、気を付けないと前出の運転手と同じで、相手の心に深い傷を負わせてしまうことになりかねません。
正しく年を重ねるって、簡単ではないようです。
ラードは飲み物 6月9日
今更ではありますが、武蔵境駅の周辺は、醤油豚骨のいわゆる「家系ラーメン店」が比較的充実しています。
ただ、私は昔から豚骨系が苦手でして、せっかくの“恩恵”にはあずかれていません。残念で仕方がありません。
一方、常日頃から「ラードは飲み物」と言い放つ“コッテリ系”大好きエンちゃんにとって、駅の周辺はまさに楽園。
「今日は○○で、××と△△を組み合わせて食べてみた。凄くよかった♪」
「生ビールにおつまみとラーメンライスで1000円ちょいなんて、ほんと神♪」
こんな歓喜の歌を、声高らかに聞かせてくれます。
☆ ☆ ☆
先日の19時過ぎのこと、
入口の自動ドアが開き、外から生徒が“生あたたか~い空気”と一緒に入って来た瞬間、
高橋:「二階の人は、“すき焼き”かぁ~」
生徒一同:「(ざわざわ)…。」
小池:「ど、どうして、そう思ったんですか?」
高橋:「ラードを焼く匂いがしたんだ。だからきっと今から、すき焼きを作るんだよ。いいなあ~。」
小池:「…。」
ある女生徒:「こ、怖い…。」
飛躍しすぎた想像と、野生動物並みの嗅覚に、ある種の恐怖を覚えました。
思わず、「今日のような冷房を使っている暑い日に、すき焼き鍋を作りますか?」というツッコミを入れ忘れました。
見えない力? 6月1日
高校生の定期テストが、だいぶ終わりました。
高校生になって最初の定期テストを経験した新高1ですが、感想は悲喜こもごもです。
連日遅くまで教室に残って勉強していた新高1のSさん。
現国のテストにおいて、一つ“とんでもないケアレスミスをやらかした”と話してくれました。
「羅生門の作者は?」
ある意味で全員正解できる(A.芥川龍之介)“サービス問題”があったそうなのですが、
何を勘違いしたのか、「太宰治」と書いてしまったとのこと…。
もちろん、芥川龍之介だということは分かっていたそうですが、
小池:「ど、どうして?」
Sさん:「解答中に、ふと頭に舞い降りてきたんです。それに抵抗できなかったんです。」
小池:「宇宙人と交信でもしていたのかい?」
あまりにも信じられないケアレスミスをした割には、彼女の表情はサッパリしていました。
Sさん:「実は~、太宰治の“宰”の字を書き間違えたんです。もう完膚なきまでに間違えていたんですよ。だから、あまり悔しくないんです。」
小池:「良かったのやら、良くなかったのやら。」
☆ ☆ ☆
授業は、束の間の小休憩に入りました。
でも、1日土曜日は英検の準会場、日曜日はエンちゃんと人生を語る会保護者面談が詰まっており、教室自体は引き続きフル稼働状態です。
さあ、いよいよ6月です。
意識の高すぎる勘違い? 5月27日
現在は、高校生の中間テスト真っ只中!
新高1にとっては、JK, DKとなって初めての定期テストになります。
長らくこの仕事をやっていて感じるのは、新高1の最初の定期テストで華麗なスタートダッシュを切った生徒は、たいてい3年後に、指定校推薦をバッチリ取っていくということ。
今年度、めでたく中央大学法学部への指定校を勝ち取った生徒さんは、まさにそれに該当しています。
推薦入試を視野に入れている新高1生の皆さん、まずは初めが肝心です!
現代の日本社会には「明日から本気出す!」という愛されて止まない名言(私も大好き)がありますが、これは、ある意味で敵なのです。
☆ ☆ ☆
6月1日(土)、当教室で英検の準会場試験が行われます。
今回も、多くの方にお申し込みを頂いております。本当にありがとうございます。
さて、今回は英検の3級を初めて受験する“とある生徒”のお話。
部活で忙しくて時間が取れず、昨日(26日)に、やっと過去問と対面を果たしたI君。
自分の意見を「25語~35語」で述べるライティング問題を解き終えた時、
I君:「せんせー、こんなに短くてもいいんですか?」
“25語も書けないよ~”と、最初は悲鳴を上げる生徒も多い中で、彼の発言は斬新そのものでした。
小池:「君は、なんて意識が高いんだ!どれどれ、早速添削させておくれ~。楽しみだな~♪」
しかし、そこに書かれていたのは、わずか1行の英文のみ。
小池:「ちょ、ちょっと、もう冗談でしょ!まったく指定の語数に足りてないよ~。ちゃんと数えたの?」
I君:「ええーっ!しっかり数えましたよ!いち、にい、さん、しい…」
彼の指先を見つめながら、私はあることに気が付きました。
小池:「文字で数えてどーするのっ!25字でなくて、25語!少なくとも、アルファベットじゃなくて、英単語が25個必要なのっ!」
I君:「こ、こんなの罠ですよーっ!。だって、これって英語の試験じゃないですかーっ!これは国語のエラーです。僕は無罪です。」
小池:「・・でも、冤罪でもないよね。」
*ちなみに、元ドリフターズの荒井注の名言 This is a pen は、4語(10字)です。
分別と分別を分別する 5月24日
今はもう昔の話。
とある生徒が、sensible(分別がある)という英単語が使われた例文を見ながら、不思議な顔をしていました。
とある生徒:「“分別のある行動”って?」
小池:「“善悪をわきまえた行動”ってことだよ。」
私の返答に対して、その生徒は、ますます不可思議な表情になりました。
とある生徒:「つまり、朝のゴミ出しで、人の善悪は決まるんですか?」
・・しばらく唖然としましたが(ある意味では、当たっていますので)、
やっと、生徒の言わんとすることが理解できた時、
小池:「ゴミは、分別(ぶ・ん・べ・つ)! こっちは、分別(ふ・ん・べ・つ)!」
とある生徒:「うわぁ、まじかぁーっ! 漢字が同じとか、マジでズルイっすよーっ!」
あれから、○×年が経ちました。
昨日、高校生のT君が、“sensible”の意味について質問した時、私は突然、このエピソードを思い出しました。
小池:「つまり、漢字は同じでも、読み方で意味が変わるんだよね~。しっかり使い分けないとね~。」
と、思い出話を伝えたところ、
T君:「つまり、状況に応じて、“ふんべつ”と“ぶんべつ”を、きちんと分別(ぶんべつ)することが、大切なんですね~。」
小池:「座布団一枚!」
☆ ☆ ☆
新高1となったS君。初めての定期試験に向けて勉強していました。
彼の英語の教科書をのぞき込んだ時、
小池:「ああ、Big Diaper(ビッグ ダイパー)なんだね。」
と声をかけると、
S君:「Big Dipper(ビッグ ディッパー)です。」
間髪入れずに、読み間違いを訂正されました。
このやり取りは、デジャビュでした。
というのは、➡ちょうど一年前に・・・(クリックすると移動します)
・・だったからです。
私は、昨年と全く同じ時期に、昨年と全く同じ過ちを、再び繰り返したことになります。
今年も、夜空に“オムツ”を堂々と浮かべてしまいました。
武蔵野の中心で老眼を叫ぶ 5月20日
40代で始まると言われる老眼。
何を隠そう、最近のエンちゃんと私は、この老眼に悩まされております。
現在のエンちゃんにとって、一番の天敵は「指数」。
そう、「x³」とかの右上の小さいやつ(ここでは3)です。
ただでさえサイズが小さい故、老眼の“効果”が混ざると、見えにくさが2乗3乗するとか、しないとか…。
そして、現在の私の天敵は「アポストロフィー」。
「he’s」とか「that’s」などの「‘」の部分です。
とは言っても、上記の場合は、さほど問題ありません。
そもそも「’」が存在しないと、不自然な単語ができあがりますので(hes、thats)、まだ推測可能なんです。
ただ、以下に関しては、もうお手上げです。
「its」と「it’s」
ああ、懐かしきソニーのCM、It’s a sony.
このCMを見ていた青春時代、It’sとItsの判別ができなくて困るような未来がやって来るなんて、夢にも思っていませんでした。
定期テスト前、生徒が持ってきた大量の質問に即答しなければならない時に、「字がよく見えない」のは、精神的に辛いですね。
老眼とはまだ無縁の世界にいる若い講師スタッフが、テキパキと質問に答えていく姿を見ると、メラメラと怒りが羨ましさが湧いてしまいます。
替え玉 5月11日
駅の自動改札の前にて、
手に握っていたのは、「自宅のカギ」。
5月に入ってから2回目のこと。
自宅のドアの前にて、
手に握っていたのは、「通勤定期」。
今週に入ってから2回目のこと。
5月7日、
歯磨き粉を買うつもりで、バスクリンを購入・・。
最近老眼が進んでいますが、並行して、頭の回路の一部が断線し始めているようです。
☆ ☆ ☆
週末に英語の外部試験を受けるJKが二人います。
二人とも、同じ大学の付属校に通う仲良し3年生。
一般的に、大学の付属校生と聞くと、
「いいなあ~、のんびりした学校生活が送れて。」
なんて“やっかみ”を受けそうですが、彼女らは全く別物です。
二人ともゴールデンウイーク中は、毎日塾に来ていました。
進学先の学部を決める大切なテストや、定期試験が目の前に控えているんです。
受験シーズン本番さながらの緊張感を、早くも教室に漂わせています。
個人的には、この時期に英語の外部試験が重なったのは、ただでさえ貴重な勉強時間が奪われてしまうので、可哀想に思えて仕方がありません。
ぶっちゃけ、“それ”どころではないのです。ただ、彼女たちの場合、学部選考の際に参考にされる場合があるので、無視できないのです。
Gさん:「もう~、先生が代わりに受験してくれませんか?」
小池:「お、落ち着くんだ。」
Gさん:「他にもやらなきゃならないことが、山積みなんです!」
小池:「普通にバレちゃうって。」
会話を耳にしたエンちゃんが、悪乗りしてきて、
高橋:「いいね~、面白そうだね~。やっちゃえ、やっちゃえ~!」
小池:「そんな悪事に手を染めたら、私は犯罪者に、」
Gさん:「私の制服を貸します。変装すれば、もしかして会場に、」
小池:「プラス変質者か…。」
部屋とテントウムシと私♪ 5月1日
昨日の深夜、自宅に戻った時のこと。
部屋の蛍光灯に、“コツコツ”と小さな物体が繰り返し衝突していました。
「こんな時期に、ハエかよ~。ああ、もうーーっ!」
しかし、棚から殺虫剤を取り出して構えた瞬間、私の目に映ったのは、予想外の可愛らしいゲストでした。
なんと、テントウムシ(天道虫)。
「一体どこから入ってきたんだ?」
そんな疑問を持ちながら、ひとまず殺虫剤を下ろしました。
以前、益虫“アシタカ軍曹”を退治して後悔して以来(➡参照)、私は不審生物を退治する際には、必ずネットで調べるようにしています(蚊やハエ、そして“彼”は除く)。
早速、テントウムシについて調べました。
種類によっては“害虫”扱いになるようですが、私が見たのは“ナナホシテントウ”という最もポピュラーな“益虫”テントウムシ。そっと逃がすことに決めました。
その中で知ったうんちくですが…
テントウムシは、手に乗せると上に向かって歩き、てっぺんまで登ると太陽に向かって飛ぶ習性があるとのこと。それがテントウムシ(天道虫)という名前の由来だとか。
確かに、太陽ってお天道様とも言いますよね。
深夜にもかかわらず、「へえ~。」と声が出てしまいました。
太陽というのは昔から信仰の対象になっています。実際、世界中の神話には様々な「太陽神」が登場します。
日本神話に登場する太陽神と言えば、「天照大神(アマテラスオオミカミ)」。皇室の祖先とされる神様です。
平成最後の日。明日からは令和。そう思うと、この日のテントウムシとの出会いに、何か不思議な縁を感じずにはいられなくなりました。
よりによってこんな日に、なぜ私の部屋に迷い込んできたのですか?天道虫様。
本来ならば、来賓として「お・も・て・な・し」すべきところですが、ビールとか差し上げても、お喜びにならないと思いますし…
とにかく自分にできることを精一杯考えた結果、
「無傷で、外へ逃がして差し上げよう。」
大きな重責を担い、心が震える思いでした。スーパーのレジ袋にさっと閉じ込めて、外で開放するという作戦を敢行。
時々「お飛びあそばせなさる」ので、作戦完了まで10分近い時間がかかってしまいました。
大役を終えた後のビールは、もう格別でした。
さあ、いよいよ5月1日。新時代に入りました。
ゴールデンウイーク中の予定 4月24日
いよいよ前代未聞?の「10連休」がやってきます。
皆さまは、いかがお過ごしになられる予定でしょうか?
さて、10連休中の当教室の予定ですが・・・
毎日やっています。以上!
「や、や、休みがないのかーーーっっっ!!こ、このブラックめー――っっ!!」
と、講師の悲鳴が聞こえてきそうですが、
大切なことなので、もう一回言います。
連休中は、毎日やっています。
「ついに開き直ったな!ブラック中のブラック、ウルトラブラックめーーーっ!!!」
といった罵声も飛んできそうですが、せっかく講師も増えたことですので、その辺はみんなで仲良く分担しましょう(笑)
真面目な諸事情としては、
市内の一部公立中では、休み明けの5月8日から、いきなりステーキ定期テストが始まるんです。
中3生にとって、これが恐ろしく大切なものであることは、今更言うまでもありません。
そして、とある大学の付属高校では、志望する学部に入れるかどうかを左右する大切なテストの第一回目が、5月中旬に行われます。
「どの学部でも、入れればそれでいいやあ~、」といった“志の低い”付属生には、あまり関係のないテストですが、希望する学部がしっかり定まっている“志の高い”付属生にとっては、これは大学入試みたいなものです。
ちなみに当塾に通う付属生達は、幸いにも全員“後者”ですので、緊張感はかなり高まっています。
ということでして、この時期に教室を閉める訳にはいかないんです。閉めたら、確実に100年先まで恨まれそうです。
さあ、夢の実現に向けて、共に頑張ろうぉぉぉーーー!!(涙目)
P.S. 講師紹介のページに、最後の1名が追加されました。これで新ジャムレンジャーが全員揃いました。
最後のジャム生(4) 4月17日
(前回の続きです)
3月の中旬、彼女が教室に挨拶に来ました。
「もう、これで本当に最後かぁ~。」
そんな風にしみじみ感じながら、私は思い出話に花を咲かせていました。
宴もたけなわとなった頃、突然、エンちゃんが彼女と「ライン」の交換を始めました。
「いったい何に使うの?」と最初は思っていましたが、
高橋:「じゃあ、大学の予定表とか出たら、ラインで送ってね~。」
まゆ様:「(ニコニコしながら)分かりましたー!」
小池:「え、え、えーーっ!!もしかして。」
エンちゃんは、まだ諦めていなかったのです。
夏休みや春休みといった帰省時に狙いを定めたのです。
私は常日頃、エンちゃんの無鉄砲な行動を揶揄していますが、今回だけは、その無鉄砲さが眩いばかりに神々しく見えました。
小池:「ま、ま、まじですか?季節限定講師なんて、聞いたことないですよ!講師紹介のページとか、いったいどう書けばいいんですか?」
そう言いながらも、私は顔のニヤニヤと笑い声を抑え切れませんでした。
高橋:「そういう講師がいたら、なんか面白くない?ジャム的にはOK!」
小池:「もう~、ただでさえ、周りからは変な塾と思われているのに~。ますますカオスな方向へ。」
高橋:「望むところだ!ていうか、もう手遅れだ。」
まゆ様:「(ニコニコしながら)なんか、ジャムらしい~。」
夜11時過ぎの教室に、3人の笑い声が響き渡りました。
☆ ☆ ☆
3月27日、当塾が7年目のスタートを切った日、我々にとっての最後のジャム生は、新天地に向かって旅立ちました。
➡ 講師紹介 NEO-GENERATION
最後のジャム生(3) 4月14日
(前回の続きです)
我々講師にとって、生徒が第一志望に合格することほど嬉しいものはありません。
しかし、彼女がめでたく第一志望に合格した場合、彼女は東京から500キロ以上離れた場所に旅立ってしまいます。
言うまでもなく、その時点で彼女に講師として働いてもらう話は、初めからなかったことになります。だって物理的に無理です。
「今後の塾のメリットを考えたら、彼女には東京に残っていてほしい…だったら」
そんな“悪魔”が脳裏によぎった瞬間が“皆無”だったと言えば、嘘になります。
実際、エンちゃんに、
「どこかで第一志望に落ちてほしいとか、1パーセントくらいは思っていませんか?」
と、意地悪な質問を投げかけたこともありました。
彼女の第一志望合格は、将来の塾にとってはデメリット…。
そんな恥ずかしい最低のジレンマを、一瞬とはいえ、感じました。
でも、そんなもの、初めから答えは決まっていました。
我々は商人ではありません。
「経営戦略」という大義名分をかざし、平気で社員をリストラできる大経営者様のような心臓は持ち合わせておりません。
塾講師には塾講師なりに、譲れない「筋」というものがあります。
この「筋」というものだけは、目の前にどんなニンジンをぶら下げられても、曲げることはできないんです。
万が一、曲げてしまうような輩がいたら、その人はパチモンです。ちなみに塾講師から「筋」をとったら、単なる社会不適合者ですから。(*あくまで、個人的な意見です)
ちょっと格好つけちゃうと、頭の片隅に、あのゾルバのセリフがよぎったのです。
Cats do cat things. Gulls do gull things.
(猫には猫のやるべきことがあり、カモメにはカモメのやるべきことがある。)
迷うことなく、彼女のラストスパートに尽力いたしました。(格好つけすぎだろ)
2月23日、とうとう最後の授業を迎えました。
終了10分前くらいに「ああ~、先生の授業を受けるのは、もう二度とないんだぁ~!」
そう言われた時、私は熱くなる目頭を隠すのに必死でした。
最後は握手して、教室から送り出しました。
☆ ☆ ☆
約2週間後。
「や・や・やったぁぁぁーーーっ!!!」
吉報を受け、エンちゃんと私は大声を出して喜び合いました。
興奮が少し収まった頃、
「でも、塾的には残念なんだよね~。」
なんて、エンちゃんが思い出したように言いましたが、どう見たって満面の笑みを隠しきれていませんでした。
我々と一緒に武蔵境にやって来たジャム生の最後の一人が、ついに卒業となりました。
(続く)
最後のジャム生(2) 4月11日
(前回の続きです)
もちろん、彼女自身は「女王様」とか「ドS」ではありません。
ただ、私の方が崇めずにはいられなかっただけのことです。
「もしも、彼女が授業をしたら、一体どんな感じになるんだろう?絶対に、楽しいんだろうなあ。」
「卒業生になったら、是非スタッフとして搾取されてほしい生徒を喜ばしてほしい。」
私がそんな妄想にふけるようになるのは、もはや時間の問題でした。
もちろん、エンちゃんも同じでした。
我々は、すでに彼女が中学生の頃から、将来スタッフとして働いている姿を思い描いていました。
しかしある時、ふと彼女の口から聞こえた言葉は、その望みを絶つものでした。
彼女が目指そうとしていた大学は、東京にはなかったのです。西へ500キロ以上離れた場所にありました。
残念ながら、「まゆ様」の講師姿を拝むことは、早くも夢と終わってしまいました。
☆ ☆ ☆
時は流れて、
2019年2月中旬、国立大学の二次試験まで、あと10日余りの頃…(流れすぎだろ)
彼女はすでに、第二志望の私立大学にしっかりと合格を決めていました。
ふと思ったのは、これが東京都内にある大学であるということ。
「どーして、今まで気付かなかったんだ!これって、」
授業終了後、エンちゃんが不謹慎極まりないことを承知の上で、
「万が一、東京の大学に行くことになったら…」
と、我々の素直な想いを彼女に伝えました。
「ぜひ!」と彼女が笑顔で答えてくれた時、どんなに嬉しかったことか。
しかし、これが大きなジレンマの始まりとなりました。
(続く)
最後のジャム生 4月8日
(3月27日付「Marking the 6th Anniversary!」の続編となります)
私が前任者から彼女の授業を引き継いだのは、彼女がまだ中1の頃。
現在のジャムスクール武蔵境が立ち上がる1カ月前のことでした。
初めての授業の時、彼女がカバンから取り出したのは、中3用の英語テキスト。
彼女は帰国子女ではなく、市内の公立中学に通う中学生のはずでは・・?
慌てて前任者に確認してみると、
「ああ、大丈夫ですよ。スラスラと進められますので。」
☆ ☆ ☆
勉強が得意な子って、大きく2つのタイプに分けられます。
1つは「真面目な優等生タイプ」の子。
こういった生徒は、そもそもジャムには来ません…(泣)大手の塾さんに行ってしまいます。
そしてもう1つは「そうは見えない」子。
こういった生徒は、基本的に明るくフレンドリー。講師に対しては、友達感覚で接してきます。あと、スポーツが大好き。
彼女は後者でした。
口癖は「やば~い!」
「できなかった。やば~い!」
「うまくいった。やば~い!」
もともと「否定的な」意味で用いられる「やばい」という言葉を、「凄い」という意味でも使ってしまう両刀使いの先駆者でした。
世の中には「やば~い!」という若者言葉に対して、眉をひそめる大人もいます。
「そういった言葉を使う子どもは、成績がよくない」といちゃもんを付けて「やば~い」の使用を禁止した中学校の先生もいるとか。これはある意味で、やばい…。
しかし、中学時代の彼女の成績は、かなりやばい(凄い)ですよ。(残念ですが、個人情報となりますので、具体的数値はヒ・ミ・ツ)
他にも、数検グランプリの金賞に選ばれたり➡、模擬で全国の成績優秀者リストに載ったりと➡、様々な伝説を残しました。
彼女のおかげで、当塾内では「やば~い、という言葉を使うと、勉強ができるようになる」という風潮が広まりました。(私も使い始めました…。)
高校は都立の最難関高校の一つに入り、運動部に所属して部活三昧の日々。
行事が特に盛んな高校だったので、部活を引退した後の高3の夏休みさえも、文化祭の準備で毎日学校へ行っていました。そして夜は塾で夏期講習。
「まるで青春映画の主人公だ。文武両道が最高レベルの才女が目の前にいる。」
正直、私はカルチャーショックを受けました。
「こういう人間って、本当に世の中に存在するんだ…。」
私は中学以上の生徒には、苗字に敬称を付けて呼びますが(男子なら○○君、女子なら○○さん)、
彼女に対しては、名前に様を付けて「まゆ様」と呼ぶようになりました。
(続く)
明日から本気出す 4月4日
4月1日、ついに新元号が発表されました。
私は、ネットで“さくっ”とチェックして知りましたが、
今になって思うと、新元号が発表された時のNHKの生中継をしっかり見ておくべきだった、と後悔しています。
「部活中、体育館にパソコンを持ち込んだ」とか、「スマホでチェックした」など、生徒たちの“新元号とのご対面方法”も、なかなか個性的でした。
☆ ☆ ☆
さて、毎年この時期になると、「天才か?それとも、単なる変人か?」として名高いYさんが、「今年度こそ、頑張ります!」と高らかに宣言をしてきます。
Yさん(中2の終わり頃):「中3になったら、頑張ります!」
Yさん(中3の終わり頃):「JKになったら、頑張ります!」
Yさん(高1の終わり頃):「2年になったら、頑張ります!」
中2の時にジャム生となったYさんですが、気が付けばもう高3生。時の流れとは、本当に早いものです。
私個人としては、彼女は日頃からきちんと頑張っている生徒だと評価しています。
だから、彼女の意味する“頑張る”レベルというのは、間違いなく異次元レベルを指していると思うんです。実行したら、彼女が壊れちゃうんじゃないかと心配です。
そんなYさんですが、今回も例に漏れず、“宣言”をしてきました。
Yさん:「新元号が発表されたので、私も気分一新して、頑張ります!」
小池:「そうか、偉いっ!じゃあ、早速この問題集を渡すから、」
Yさん:「あ、新元号の施行に合わせたいんで、5月1日から。」
小池:「・・・。」
ありがとう!福地先生 4月1日
3月30日、当塾で長年講師を務めてくれた福地先生が、レギュラー講師としての最後の授業を終えました。
6年前、小中高と通っていた成蹊学園を飛び出して慶應ボーイに転身された福地先生は、大学と大学院の合計6年間に渡り、当塾で講師を務めてくれました。
今後は大学院の博士課程に進むのですが、今よりも研究が忙しくなることや、ご家族が引っ越しされるという事情が重なった故、誠に残念ではありますが、今回の運びとなりました。
これからは、教室に姿を見せる頻度こそ激減しますが、卒業生スタッフのSV(スーパーバイザー)として講師にアドバイスをしていただいたり、不定期的とはなりますが、特別授業を行っていただく予定です。
思い返せば、福地先生がジャム生になったのは、まだ小学校低学年の頃。
今でも、ランドセルを背負っていた頃のイメージが、強く残っていたりします。
福地先生は、生徒時代だけで10年以上ジャムスクールに授業料を吸い取られ在籍し、その後、講師として6年間搾取されて働いてくれました。
まさに、これまでの人生の3分の2以上をジャムと共に歩んでくれた功労者なんです。
誰もが認める「オールマイティー講師」で、もともと「理系教科」担当だったにもかかわらず、いつの間にか、中学高校問わず、全教科を担当するようになりました。
福地先生がいなかったら、今のジャムはあり得ないでしょう。おそらく今後、福地先生がお住まいになられる方向には、足を向けて寝られません。
今後のご活躍を、心よりお祈り申し上げます。これまで、本当にありがとうございました。
Marking the 6th Anniversary! 3月27日
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本日2019年3月27日、ジャムスクール武蔵境は、開校6周年を迎えました。
開校時に中学1年生(厳密には小6)だった生徒が、いよいよ、大学1年生になります。
そう考えると、ずいぶん時間が経ったなあ、と感じられます。
嬉しいことに、開校時に中学3年生(厳密には中2)だった生徒で、いよいよ大学3年生になる吉田先生から、今年も素敵なお花と美味しいスイーツを頂きました。
毎年、本当にありがとうございます。
ここで一つ残念なお知らせなのですが、吉田先生は、4月からカナダに1年間留学されてしまいます。そのため、今年度はジャムで授業ができません。
勉強に対して真面目な生徒だけでなく、不真面目な生徒からも支持されていただけに、ジャムとしては残念で仕方ありません。
1年後、カナダ人となった吉田先生に会える日を、皆で楽しみに待ち続けましょう。
☆ ☆ ☆
この1年は異常事態のない平穏な年でした(ある意味、これこそが異常事態ですが)。ただ、年が明けてから、少し考えさせられたことがありました。
それは、今年ジャムを卒業する一人の女生徒にまつわります。本編は4月以降に改めて掲載します。今回は導入部となります。
*クリックで拡大します
中2の英語教科書の最後の方に「Zorba’s Promise(ゾルバの約束)」という物語が登場します。
これは「カモメに飛ぶことを教えた猫」という原作の本が、4ページに短縮されたものです。
素晴らしい内容で、ラストのシーンとか、私は朗読するたびに涙腺が決壊してしまいます(生徒にバレないように、必死にごまかしていますが)。
教科書の最後の方なので、この授業を終えると「今年度も終わりかあ~」という気持ちと「今年もラストシーンの朗読は、無理だったなあ~」という反省に浸ります。
物語の途中、黒猫のゾルバが、自分の子どものように育てたカモメのラッキーに言ったセリフ、
「Cats do cat things. Gulls do gull things.(猫には猫のやるべきことがあり、カモメにはカモメのやるべきことがある。)」
これはさり気なく哲学的で「生きることについての問い」だと思えますし、その後に続くセリフ、
「Each is different. Each is good.(みんなちがって、みんないい)」
これなんて「金子みすヾ」の詩ですか?と思えてしまいます。
素晴らしい“フレーズ”というのは、万国共通なんでしょうね。
私はこの物語を愛して止まないのですが、毎年生徒たちの反応は、
「まあまあかな。」
と、ごくあっさり。
自分の感覚がずれているのか?と少し不安にもなっていました。
それゆえ、この原作の「カモメに飛ぶことを教えた猫」が4月から「劇団四季」により全国公演されると知った時は、思わずガッツポーズでした。
2019年3月27日23時15分撮影
導入部は以上です。
それでは、いよいよ当塾は7年目のスタートを切ります。今年度も全力疾走で駆け抜けてまいります。
日々是暴走のジャムスクール武蔵境を、今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
夜は目玉焼き(2) 3月19日
(前回の続きになります)
*3夜連続、ビールのおつまみは目玉焼きです♪
当時小6生だった生徒も、現在は中学1年生となりました。
先日、その生徒さんが英検の準2級に合格しました。嬉しいことに、ライティングは満点でした。
準2級って、一応、高校2年生修了程度のレベルとされています。
つまりは、
「6年後か…。」
新しい始まりの歌。遠くから聞こえる前奏に、耳を傾けました。
のはずが、
「あと1年か…」
始まりの歌は、すでに1番、2番、そして間奏を終え、3番の後半に入りました。
という展開になっています。
ところで、
何か尋常ではない事態にお気付きでしょうか?
この生徒は、帰国子女ではありません。
1年前、アルファベットの小文字の書き方から英語学習を始めた生徒です。
中1の1学期には、中2終了程度の4級、2学期には中3終了程度の3級、そして今回準2級に挑戦して、全て合格してきました。
何か物理的な法則みたいなものが、明らかに無視されていません?
1年前、保護者の方のご要望は「できるだけ先取り」をしてほしいとのことでした。
消化不良を承知の上で、通常の3倍以上の進度で授業を進め、わずか1桁の授業回数で、「三単現のS」まで強引に教え込みました。
今になって思うと、水泳の初心者に、数回のレッスンで「バタフライ」までやらせるような酷いメニューだったと感じます。
今回彼が成し遂げた偉業は、ひとえに我々が理想とする教育理念と、彼の類いまれな創造力が高い次元で化学変化を起こし、そこから誕生した奇跡のファンタジアが螺旋階段となって・・
こういった恥ずかしい自分語りの「うんたらかんたら」とは、全く関係ありません。
100パーセント、彼の力です。
ぶっちゃけ英検に関して言えば、私はほとんど何もしていません(キリッ)
私は自慢ではありませんが、中2の時に英検4級に落ちた人間です。だから、そろそろ彼に対して敬語を使った方が良いのでは?と焦り始めています。
夜は目玉焼き 3月17日
自他ともに認めるミラクルな男、U君。
2月のど真ん中、彼の成し遂げた偉業に度肝を抜かれなかったジャム生はいません。多くの生徒が勇気をもらいました。
そんな「時の人」U君ですが、現在でもジャムに足を運び、自習という名目で大好きな読書に励んでいます。
「あさげ、時々めし」ならぬ「読書、時々自習」が、今の彼のスタイル。
とは言え、高校から出された課題にそろそろ手を付けないとヤバいらしく、最近は少しずつ、鉛筆を握り始めています。
彼が読んでいた英語の課題を、ちょっと覗かせてもらいました。
「その家族の朝は、45個の目玉焼きを作り、45人分のコップに牛乳を注ぐことから始まる。」
こんな感じで始まる内容でした。
レストランの話ではありません。
45人の子どもを持つ夫婦の話。
夫婦の実子は2人か3人。あとは養子です。さらに程度の差こそあれ、養子の全員が身体に障がいを抱えています。
そんな大家族のお話です。
最後に紹介された夫婦の言葉は、私の荒んだ心を浄化してくれました。
読み終わって、
小池:「ああ~、感動したら、お腹が空いてきちゃったよ。まあ、これで晩飯のメインディッシュは、もう決まりだな~。」
U君:「はい?」
小池:「普通は朝に食べるものだけれど、なんかもう、無性に口にしたくなってきた。」
U君:「牛乳ですか?」
小池:「ち・が・う・だ・ろーーーっっ!!!」
☆ ☆ ☆
何となく、ちょうど1年前の3月17日に掲載した➡ブログを読み返しました。
その最後の方で、
一生懸命に小文字で英単語を書いている小6生たちを見ながら、
「6年後か…。」
新しい始まりの歌。
遠くから聞こえる前奏に、耳を傾けました。
感慨にふけった自分語りを読み、「1年前の自分を殴りたい!」という恥ずかしさと、自分は「生涯、中二病から抜け出せない人間である」と、再認識した次第です。
ただ、ここに登場する小6生は、現在、凄いことになっているんですよ。
(続く)
Hello, March!(3) 3月6日
(前回の続きになります)
更に悪循環なのは、「以前だったら合格していた受験生」が浪人せざるを得なくなり、学力を高めて再チャレンジしてくること。
そうなると、現役生には、恐ろしい現実しか待っていません。
かなり大雑把に言ってしまうと、以前なら早慶に合格できた生徒がMarchに、Marchに合格できた生徒が日東駒専に、合格できなくなってしまったんです。
現場では、まさに阿鼻叫喚の地獄絵巻が繰り広げられています。
☆ ☆ ☆ ☆
さて、そのような犠牲を払った結果、肝心の地方に学生は流れているのでしょうか?
ぜんぜん流れていません。
むしろ、都市圏でこれまで人気のなかった大学に、“例年よりも学力の高い学生”が入学せざるを得なくなり、そういった都市圏の大学は喜んでいるとか。
本末転倒、というか、それよりも酷い状況です。
そして2020年からは、いよいよ新しい大学入試制度へ突入…。
そりゃあ、誰だって大学の付属へ入っておきたくなりますよ。
ちなみに、あの尾木ママは、このような「大学の定員抑制」に対し、「学びの自由を奪っては地方創生にはつながらない。世紀の愚策だ」と1年前、週間文春の記事でお怒りになられておりました。
尾木ママの「虎の威を借りて」言うならば、ポンコツな大人たちが愚策を連発するから、若者が未来に希望を持てなくなるのです。
自分を含めたポンコツな大人は、いい加減、その事実に目を向けるべきではないでしょうか?
Hello, March!(2) 3月4日
(前回の続きになります)
中堅以上の私立大学受験が、もはや考えられないほど難化してしまったんです。
原因は「私学助成金の不交付基準」の厳格化。
もともと収容定員8,000人以上の大学には、入学者数が定員の1.2倍以上になると助成金が交付されなくなるという規則がありました。
「地方創生なんちゃら」という政策の一環で、文科省は都市部の大学への学生集中を抑えようと、この基準を平成28年度に1.17倍、29年度は1.14倍、30年度は1.1倍と、徐々に厳しくしました。
要は、入学者が多すぎると、大学は助成金がもらえなくなるのです。
素人考えだと、「そうは言えども、多く入学させれた分だけ、入学金や授業料収入が増えるから問題ないんじゃない!」と思いがちですが、助成金の額は桁違いなんです。こっちを失う方が大学にとっては痛いのです。
これまでは有名私立大学であっても、国公立大学やライバル大学に逃げられることを想定し、定員の2倍近くの合格者を出していました。
でも、何人の合格者が入学するかなんて、ぶっちゃけ大学側だって、フタを開けるまで分かりません。
だから年度によっては、定員を大きく超えてしまったり、逆に全然足りないことも珍しくないんです。足りない場合は補欠・追加合格で補いますが、前者の場合は受け入れるしかありません。
でも、そんな言い訳はお役所には通じません。入学者が基準を一人でも超えたら、助成金は消滅するのです。
それ故、大学側は石橋を叩いて渡るしかありません。つまり、思いっきり合格者を減らしてしまうのです。
全ては「お客様のうまいのため」
全ては「フタを開けるまで分からない入学手続きで、最悪の事態を回避するため」
実際、平成30年度入試の合格者数は、28年度に比べて早稲田が3444人、明治が2928人、法政においては5591人減少しています。
この3校だけで、すでに1万人を余裕で超えています。これらの大学で学ぶチャンスが、たった3校だけで、軽く1万人分奪わたのです。
まじで、一昨年あたりからの受験生たちは、もう阿鼻叫喚ですよ。
更に悪循環なのは・・・
(続く)
Hello, March! 3月2日
ご無沙汰しておりました。久しぶりの更新となります。
さて、いきなりですが、昨日3月1日は都立高校の合格発表日!
当塾からも若干名ではありますが、2名(本当に若干名過ぎるだろっ!)が挑み、2名とも無事に桜を咲かせました。都立高校合格率100パーセント達成です(こら)。
事前の計算では、1人は430点、もう1人は400点オーバーを達成することが、確実に合格するための条件でした。
今年は難化した教科があったので、「合格最低点は下がるだろう」と頭では分かっていましたが、今日の日を迎えるのが、かなり恐怖でもありました。
二人とも本当に、本当に、本当に良かったあぁぁぁ!
☆ ☆ ☆
後は、一部の大学入試の発表を残すのみとなります。
やっと一息つけるかと思いきや、中学生と高校生の期末テスト期間が重なったため、全然一息つけません…。
さらには、英検の2次面接練習も加わったことで、現場は「火の車」を超えて「炎の車」になっています。
講師の先生方、恒例となった強制残業ですが、どうか引き続きよろしくお願いします。
☆ ☆ ☆
ここ2~3年、当塾においては、都立高校よりも私立高校の志願者が増えています。これは、大学の付属高校への志願者が増えていることに起因します。
ちなみに、とある有名大学付属高校の一般入試男子の倍率は、2017年に3.7倍でしたが、2018年には8.1倍に跳ね上がりました。
こういった大学の付属校を望む声の背景には、もちろん2020年度からの大学入試改革が影響していますが、実はもう一つあるんです。
(続く)
15歳からの終活? 2月10日
センター試験が終わり、私推が終わり、中学入試が終わり、いよいよ本日10日からは、私立高の一般入試が始まりました。
私は常日頃、塾業界がブラックと揶揄される現状に怒りを覚える人間ではありますが、今だけは、当塾を「ブラックだ!」と訴えてやりたいほど、激務状態です。
12日以降は、並行して英検の2次対策がスタートします。今回の英検1次には、金曜日や本会場の受験者を含めると、おそらく過去最高人数の生徒が試験に挑んでいます。
ということは、2次面接対策は…。考えるだけで、かなりゾクゾクします。
講師の皆さま、恒例の放課後の強制残業面接練習ですが、何卒、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。もし皆様のご協力がなければ、私とエンちゃんは、間違いなく発狂してしまいます。
☆ ☆ ☆
円周率(3.14…)を題材とした英語の入試問題に取り組んでいた中3生Sさん。
問題文には、3月14日に「円周率の日」と呼ばれるイベントが開催されていることや、この日がアインシュタインの誕生日であることも書かれていました。問題を解き終わったSさんは、少し興奮気味でした。
Sさん:「なんか、凄い偶然が重なった日ですね。理系の人にとっては、聖なる日じゃないですか!」
小池:「3月14日って、車椅子の天才物理学者ホーキング博士が亡くなった日でもあるんだよ。なんかさぁ~、不思議な“輪廻ってやつ”を感じるよね~。」
私は「聞きかじりのうんちくを生徒に全開で披露する」という、大人としてかなり恥ずかしい行為を白昼堂々やってしまいました。
ところが、Sさんは予想に反して、大きく感動してくれたご様子。
Sさん:「わ、私も、人生最後の日を3月14日で終われることを目指して、頑張ります!」
小池:「…。ちょ、ちょっと、なんか違うんじゃない?」
病は気から 1月27日
私立推薦が幕を開け、いよいよ都立推薦も始まりました。
受験シーズンの幕開けです。
ところで、毎年この時期になると、極度の心配性になる中3生が出てきます。
起こり得ない不測の事態を勝手に想定し、「ヤバい、どうしよう!」と怯えます。
入試日が近づくにつれ、「起こり得ない度」はエスカレート。
「もし、試験会場で鉛筆の芯が全部折れてしまったら、どうしよう?」に始まって、
「もし、受験票と年賀状を間違えて持って行ったら、どうしよう?」へと発展していきます。
そのうち、宝くじの1等当選よりも確率が低いであろう事態も創生される始末で、常に
「・・・だったら、ヤバいどうしよう!」
という負のスパイラルに憑りつかれます。
今年も例にもれず、そういった生徒さんがいるのですが、先日、エンちゃんが一言、
高橋:「なーに、心配ばかりしてるんだよ!昔から“ヤバいは気から”って言うだろ。」
ヤバいどうしよう!さん:「あぁーーっ!!確かに!」
エンちゃんが珍しく、とってもイイこと言いました。明日の天気が心配です。
☆ ☆ ☆
とは言えど、人生で経験したことのない大きな重圧が、中3生を迷走させてしまうことは事実。
毎年のことですが、やはり受験というのは残酷なイベントだと感じます。こういった生徒の姿を見る度に胸が苦しくなります。
でも、苦しいことばかりでもありません。
それは3年後・・・
☆ ☆ ☆
小池:「センターリサーチだと、この学科はボーダーギリギリだけど、こっちの学科ならB判定を上回るよね。同じ大学の同じ学部で学ぶ内容は近いし、二次試験の点数配分から見たら、こっちの学科に出願した方が…」
3年前のヤバいどうしよう!さん:「悔いは残したくないので、変えずに挑みます!」
大きく成長した姿に、驚かされる楽しみが待っているんです。
吹いたら負け~センター試験リスニング 1月23日
*クリックで拡大します
「ムーミン」登場で盛り上がった昨年のセンター試験。
今年もなんか変なのが出てきました。
「第1問目から笑わせにきた!」
多くの受験生が口をそろえたのが、英語リスニングに登場した謎キャラ。
脱力感満点のイラストが、よりによって受験生が一番緊張している第1問目に姿を見せました。
つまり、問題冊子をめくって最初に見るのがコレ。
受験生たちは吹き出すことなく、流れてくる音声に集中しなければなりません。
吹いたら負け。もはや、集中力が破壊されてしまいます。
ある意味、メンタルの強さを試そうとした問題であるとしか思えません。
☆ ☆ ☆
色をつけてみました *クリックで拡大します
可愛らしかったので、早速色を付けてみました。
この謎キャラ達は、正義のヒーロー「アンパンマン」のように、お腹がすいている子どもを見かけたら、自分の顔をちぎって与えるのでしょうか?
1や4(リンゴ、ブドウ)だったら喜ばれそうですが、2や3(ニンジン、キュウリ)だったら、なんとなく嫌がられそうですね。
背負うもの 1月19日
夫婦などを意味する「couple(カップル)」という単語は、場面によって「2~3」といった意味になる場合があります。
a couple of days 2~3日
その説明を中3生Yさんにした際、少し怪訝そうな表情をして、
Yさん:「これって絶対どっちかが、浮気してますよね。」
小池:「…。そーゆーことではない。」
☆ ☆ ☆
高橋:「いや~、この問題は難しいな。very3乗difficultだ!」
今年に入ってから、エンちゃんの言葉が徐々にルー語化しています。
ところで中3向けの会場模擬ですが、いよいよ20日が実質的に最終回となりました。
志望校判定が出る最後の模擬ということで、自然と気合いも入ります。
そんな中、金曜日の晩の段階で、すでに緊張していたSさん。
小池:「模擬なんだから、今からそんなにガチガチに緊張しなくても…」
Sさん:「緊張します。背負うものが多いんです。」
15歳の若者から放たれたとは思えない重みのある言葉に、しばらく心を打たれました。
思い込み 1月9日
平成最後の冬期講習が終了いたしました。
次回の春期講習は、平成と新元号にまたがるハイブリッド型となります。
☆ ☆ ☆
講習最終日22:00過ぎ。
小池:「じゃあ、今日はこれでおしま~い。次回からは通常授業です。」
生徒にそう告げながら、私は「明日の休みは何をしよう」と、ワクワクしていました。
ここ2~3年の慣例だと、講習最終日の翌日はお休み。
だから、てっきり「明日は休みだ」と最初から信じてやみませんでした。テンションMAX状態で片づけを始めていました。
—平日に休むという罪悪感―
それは、小学生が風邪で学校を休んだ時に経験する感覚に近いものがあります。
病院の診察を終えて家に帰る。
↓
一旦は布団に入ったものの、薬が効いているせいか、普通の状態になっている。
↓
布団でじっと横になっていても、さんざん寝たので、まったく眠くならない。
↓
退屈で仕方がないので、布団から出て、とりあえずテレビをつける。
↓
普段はめったに見られないお昼のワイドショー番組を見る。
「ああ、僕だけ、こんな特別なことをしていてもいいのか?」
どこかで罪悪感を感じてしまったピュアな少年時代。
しかし、今の私はこういった罪悪感にこそ、中年男のロマンが詰まっていると感じてやみません。
「明日はどーしよっかな~。吉祥寺にでも行こうかな~。レストラン街で、昼間っから麦ジュースを、うふふ。缶麦ジュース片手に、井の頭公園という手もあるなあ~。」
罪悪感こそ最高の酒の肴。そんな妄想に浸っていた最中、
高橋:「小池せんせー、明日は講習明けなので、19:00からでいいよ~。」
小池:「あっ、えっ、そっ、そんなに遅くていいんですかー?てへへ、ラッキー!」
小池(心の声):「ええーーーっ!!休みじゃないのーーーっ!!!ぐあああぁぁ~」
中年男のロマンは、お預けとなりました。
ゼロパーセント(2) 1月5日
(前回の続きです)
「これで、ピリ辛メンマを美味しく食べられる。」
天に感謝しながら、私は早速、お酒のコーナーに向かいました。
私はノンアルコールビールというものを買ったことがありませんでしたが、「〇○○ゼロ」と書かれている缶が目に入ったので、
「これがアルコール0%で、味がビールてやつか~♪」
ウキウキしながら商品を手に取り、カゴに放り込みました。
☆ ☆ ☆
教室に戻って、
全員:「いただきま~す!」
缶のフタを開けようとした時、ふと目に止まったのは「お酒」と書かれた文字でした。
小池:「あれ、どうして?アルコールゼロじゃないの?」
缶としばらく睨めっこして…愕然。
私がカゴに入れたのは、ゼロはゼロでも、アルコールがゼロではなく、糖質とプリン体がゼロという発泡酒だったのです。
缶を手に取った時に、きちんと確認しておくべきでした。生徒にいつも「まず、問題文をきちんと確認しなさい!」なんて偉そうに言っておきながら、「このざま」です。
高橋:「レジで“年齢確認ボタンを押してください”って言われたので、なんかおかしいとは思ったけど。」
小池:「ぐぅああぁぁん!」
ゼロパーセント 1月3日
恒例の正月特訓は、無事に終了いたしました。4日からは、通常の冬期講習に戻ります。
正月特訓中の楽しみと言えば、もちろん、お食事タイム!今回は元旦の夕食に限り、これまでにない試みを行いました。
それは、みんなでスーパーに買い出しに行き、「各自が買い物カゴに食べたい物を好きなだけ放り込み、会計時に全部エンちゃんに渡す」というもの。
私は調子に乗って、お寿司や揚げ物、ピリ辛メンマなど(もはや、晩酌のつまみ)を遠慮なくカゴに放り込んでいきました。
― そして、ドリンク売り場の前にて ―
私は昔から「豪華な食事ほど、アルコールなしで味わうのは無礼にあたる」という独自の信条を持っています。
とはいえ、もちろん生徒の前でアルコールを口にするなんてできません。常識ある大人として、今回はお茶に手を伸ばしました。(キリッ)
その瞬間、
「ノンアルコールビールという手があるじゃないか!」
元日というおめでたい日。まさに天のお告げであるかのような、ミラクルな発想が私に降臨しました。
(続く)
謹賀新年 1月1日
さあ、いよいよ2019年が幕を開けました。
生徒の皆さん、
保護者の皆さま、
ご近所の皆さま、
そして、いつも素通りされる通行人の皆さま、
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
☆ ☆ ☆
ただいま当塾では、恒例の正月特訓の真っ最中。
言うまでもなく、毎年参加を希望するのは、受験を直前に控えた生徒たちです(当然ですが)。
ところが、今年は何と!すでに志望校に合格が決まっている生徒が、参加を表明してきました。こちら側としてもビックリ!
「早まるな!まだ考え直せる時間はある。何が楽しくて、せっかくの年末年始を」
そんなことを言いながらも、内心では、嬉しさを隠しきれませんでした。
☆ ☆ ☆
それでは、日々是暴走のジャムスクール武蔵境を、本年もよろしくお願いいたします。